無理矢理引き剥がした英明の口唇は無言だったが、眼が語っていた。じゃあ、昨日のアレはなんだったんだ…って。
チクチクと視線が、音もなく責める。おまえはどういうつもりだったんだ――って。


「き、昨日とは状況が」
「どう違うと言うんだ」
「昨日は中嶋さんが――…」
「俺が?」
「キ…ス、したそうだったから…」


どうしてこっちに非があるかのように追い詰められなきゃいけないんだろう。
英明は眉間の皺を深くして、また溜息。


「お前は、したがるヤツがいれば誰にでもさせるわけか」
「そん…、大体、どうして俺が責められてるんですか」
「責めた覚えはない」
「十分責めてますよ」
「何故俺を受け入れたのかと理由を訊いている」
「――」


理由なんて、考えなかった。英明だっておそらく軽い気持ちだろうと思っていた。深い意味なんて、考えるだけ無駄だ。
でも本当にそうだったのか、いきなりわからなくなった。


「中嶋さ、ん……っ」


最後の音は、その人の口の中に吸い取られて消えた。指先で顎をすくい上げ、手慣れた仕種でキスを貪る。
情熱的なこんな行為を、誰かと交わすのは久しぶり――少なくともここ何年かはなかった。
最初はわからなかったその意味が、次第に形になって湧き上がる気がした。
流れ込んでくる感情が、昨日は気づかずにいた熱情が、今なら、わかる。
きっとまだ、そうなのかも…程度だけれど、この人が、和希に対して抱く想いが、じわじわと侵食するように伝わってくる。
いつまでもやまずに繰り返されるキスに翻弄されながらも、自らも腕を伸ばした。
昨日と同じ半袖のシャツに、昨日とは違う気持ちでしがみついた。
本当にそうなのか…はわからなくても、単純にこの人の読み難い感情が垣間見えたことが嬉しかった。




「――昨日と今日とで、一生分のキスをした気分ですよ…」


ようやく僅かにインターバルの時間が与えられ、さすがに恥ずかしさから俯きがちに呟くと、英明は「この程度でか?」と微笑い、またちょんと口唇を啄んだ。
きちんと告白されたわけではないし、自分だって何も応えてはいないけれど、そんな形もありなのかと思ってしまうくらい、 自然で、楽に呼吸している。この人の隣で。


「……っ?」


矢庭にぐっと腰を引かれ勢いで顔が上向くと、それだけ余分にしがみつくこととなり、そんな親密さにまだ慣れもしないうちに、その辺の机の上にどさりと投げ倒された。


「ちょ…」


書類だらけでロクにスペースもない。せっかく拾い集めた紙の束がまた床に散らばる。
そんなものには一切眼を向けず、英明はゆっくりと和希の上半身に伸し掛かってきた。
靴の先が床に付くか付かないかの微妙な体勢で、起き上がろうにも力が入らない。


「中…っ」


待て、の意味でその人の胸板を押し戻した。


「――なんだ?」
「何って、中嶋さん、気が早すぎ…」
「早い遅いの基準はなんだ」


誰が決めたんだ?――とでも続きそうな、一瞬もっともにも思える返答に思わず言葉に詰まった。


「わっ、ちょっ…」


大きな手が、シャツの上から腹の辺りを撫でる。夏服の生地は心許ない薄さで、くすぐったさに身を捩ると却ってよくない結果になり、脇から背中側に腕を差し込まれた。
英明の、見事な体躯との距離は当然狭まり、昨日と同じくらい接近した、見惚れるばかりの面差しは、かなり本気に窺えた。


「中、嶋さん…」


動悸が激しくなるのがわかる。どくどくと音が聞こえそうなほどに。
余裕たっぷりのキスが、更に和希を追い詰める。


「な、中嶋さん…?」
「――」
「ちょっ、待っ…」


きっと顔も赤いんだろう。それでも羞恥心からではなく別の理由で、英明を押し留めた。


「こんなところで――、誰か来たら…っ」
「あの馬鹿が戻ってくる可能性が1ミクロンでもあると思うのか?」
「そ…れだけじゃなくて中嶋さん――は、っ…」
「――なんだ」


心底面倒臭そうな声にもめげずに訴える。


「中嶋さんは、そこまでがっつく必要ないで…しょう…?」
「…どういう意味だ」


眉間の皺が更に追加されて、気弱な自分の一部がちょっと怯んだ。


「つまり…ですね、えーっと中嶋さんは…そう、中嶋さんががっついたりするのが不思議な気がするというか」
「…俺の気を逸らしたいのなら無駄だったな」
「そうじゃな…」


必死に否定してみせる和希の頭上で英明は小さく舌打ちし、素早く身を起こした。


「……?」


和希に対しての舌打ちではない――その理由はすぐにわかった。


「隠れていろ」


英明の命を聞き終わらないうちに、どやどやと足音が複数分聞こえ、扉が豪快に開け放たれた。
咄嗟に跳ね起き、机の足元に身を潜める。
そんな姿を見られたくないなら隠れていろ、の意だと悟った。


「――悪ィ悪ィ、遅くなった」
「随分いい色になったものだな、哲也」
「そうかぁ?さっきサッカー部の助っ人頼ま…」
「次に逃亡するときは、サンオイルでも塗って行ったらどうだ?」
「お、おぅ…」


嫌味満載の出迎えに丹羽が困惑している間に、机の死角を通って学生会室の奥へ移動した。
細く水を出した蛇口で顔を洗い、なんでもない風に出て行くつもりだったが、


「――あれ、和希は…」


王様を連れて戻ってきた啓太の声に、思わずむせた。


「…和希?そっちにいるの?」
「………」


心優しい啓太は、姿の見えない親友を心配して奥までやってくる。


「和希――大丈夫?」
「なんでもない…なんでもないよ。ちょっとむせただけ…」


なんだか無性に気恥ずかしくて振り返ることができないでいる和希を、どうやら啓太は明後日の方向に誤解したらしい。


「和希、具合悪いんじゃないの?」
「え…」


隣に並んで、わざわざ和希の顔を覗き込むと、


「顔も赤いよ?熱とかあるんじゃない?」
「――」


ここまで心配されると、本気で具合悪いフリをしたほうがいい気がしてくる。
どさくさに紛れて逃亡できるかもしれない。


「和希?なぁホントに大丈夫なのか?」
「…あーうん、どうだろ…」


ケホケホと態とらしく咳き込んでみる。


「帰ったほうがよくないか? ――中嶋さんー!」


……え?えぇ?えー!





啓太が素晴らしく気を回してくれたおかげで、副会長に送られて寮まで戻るハメになった。これって自業自得?
具合が悪い和希を気遣って(いることになっている)英明の片腕は、がっしりと和希の肩に回されていた。
「近すぎる」等の抗議は、一切聞き入れられなかった。

ただでさえ陽の長い時節で、下校途中の生徒たちの眼も気になる。
学園で、一、二を争う有名人が、1年生の肩を抱いて歩いているのだから、注目するなというほうが無理な話だろうが。


何とか寮の玄関までたどり着き、ありがとうございましたと相手を振り切って部屋に戻るつもりが、何故か当たり前の顔でその人はぴったりと背後にくっついたまま。
その理由を、

「あの状況でお前が帰ると言い出したのだから、俺を誘っていると思うのが妥当だろう」

とのたまった。
どこまで都合よく出来ているんだ、この男の頭の中は!

可能なら、出来るなら、部屋の鍵を開ける前に立ち去って欲しかった、自由極まりない副会長は一向に消える気配なく、仕方なく諦めと共にドアを開ける。
英明は、背中に密着するようにして、和希ごと中に押し入った。
まるで自分の部屋であるかのごとく、壁スイッチに手を伸ばし明かりを灯すと、「さて」と運んできたふたりぶんの鞄を床に置く。


「続きを聞かせてもらうか」
「つづき…」
「それとも――"続き"をするほうがいいか?」


片方の二の腕を掴まれていたので、和希に可能なのは振り返ることだけだった。









【和希おめでとう'11】
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