決して英明の言葉に同意したつもりはないが、廻らした首の先で待ち構えていた口唇が、 至極当然の風情で即座に重なってくる。
この人とのキスに、いつの間にか慣れているというのもおかしな話だ。
洋画くらいでしかお目にかかれないような艶かしい遣り取りの、自分が当事者になっている。

英明はおそらく、その気にさせるのが上手いんだろう…手慣れている。扱いに長けている。
噂でしか知らなかった英明の、裏の顔を垣間見た気がした。
男でも女でも性別問わず――と。それも、この完璧な容姿を見れば頷ける。
それがどうして和希などに構うのか、さっきからずっと引っかかっていた。
単なる気まぐれ…? でも学生会室で感じた仄かな甘い感情は、まだ自分の中に柔らかく残っている。
今だって深い角度で、和希の口腔内を貪るこの人の、容易には見せないであろう…秘められた一面。


「……お前ががっつくなと言うのもわかるな」


え…?


英明の、苦笑混じりの呟きに、暫しきょとんと間近にあるその端正な顔を眺めた。
貪るだけ貪って、それでもまだ名残惜しそうに離れていった英明は、どこかしらちょっと照れているような。
息が上がってまともに返事も出来ない。
錯覚かもしれないと、幾度も瞬きしてみた。

がっつくな、ではなくて、それが不思議だって、言った、つもり――…


不意に足元が不安定になり、僅かに宙に浮いた肢体は軽々と運ばれて、英明諸共ベッドに沈んだ。


「――っ!」


衝撃で背中が勢いよくバウンドし、危うく舌を噛むところだった。


「大体お前がそんな風だから、俺も余裕がなくなる」


…はい?


「少しは自覚したらどうだ」


いきなり何の話――?
言うなり両の掌で、和希の頬を挟んで覗きこむように顔を近づけてくる。


「……は、」
「ん?」
「俺はそういう…意味合いではなくて、ただ、中嶋さんが…中嶋さんくらい相手に不自由しない人が、俺にそういう…のが単純に不思議だなと」
「やはり自覚ナシか…厄介なことだ」


呆れた口ぶりで和希を突き放しつつも、手元では和希のネクタイを無造作に解き始める。


「ちょっ…」


しゅるんと小気味いい音を立てて首から引き抜かれ、それはただの紐となって床に投げ捨てられた。
でもまだ、ピンとこない。自覚できない。
もしかしてこのわかりにくい人に好かれているのかも、と思ってはみたものの、未だ半信半疑で、どうしたらいいかわからない。
他人事みたいだ。
どうしようもない温度差はきっと相手にも伝わっているだろうに、英明は眼の前で微笑っている。それすら珍しい光景。
余裕がなくなる、なんて言ってたくせに。


「……俺がお前に欲情するのが、そんなにおかしいか?」
「――」


ストレートすぎる言葉に、赤面するのも忘れた。


「ひゃ…」


下のほうからシャツのボタンが順に外されていって、素肌にひやりと指先が触れる。
さっきとは違い、じわじわと甘い痺れが足元から這い上がってくるようで、肌が震えた。
いくらその気にさせるのが巧みでも、だからと言ってふわふわと受け入れていいものか。
迷うのは当然で、それでも相手は構わずに粛々と行動を推し進めてくる。


「ぅわ…っ」


ヘソの窪みに舌が進入してきた。一層背中が粟立つ感覚。
後戻りできないところまで足を踏み入れる前に何とかしないと。でもどうして?
嫌じゃないなら流されたっていい。昨日のキスみたいに。理由など必要ないって、思えばいい。


「あ…、っ」


ただ、何故だか急に、もしもこの先へ進んで落胆されたらと落ち着かない気持ちになった。
この状況下でそれは果たして正しい感情なのか。
身体はあちこちに火をつけられて、どんどん身勝手に高ぶっていくのに。
聞いたこともない淫らな声が、絶えず口唇を奮わせるのに。
あられもない自分の姿を受け入れられない。

理解の及ばない感情に翻弄され、それでなくても頭が真っ白になる。
フラッシュを激しく焚かれたときのようで、英明の半袖シャツの背中に必死でしがみついた。





息が、本当に本当に苦しくて、いくら酸素を求めても肺にたどり着かない。
全力疾走か、あるいは長い潜水のあとのような荒い呼吸。
何かに縋りつきたくて手を伸ばすと、暖かいものに触れた。
ゆっくり目蓋を押し上げた先に、副会長の端正な顔が見えた。
こちらをじっとのぞきこんでいる。あ、でも、いつのも眼鏡がない。

無意識に伸ばした腕は、その人の肘の辺りを掴んでいたらしく、慌てて手を引っ込める。
現実はまだ追いついてこない。ふわふわと浮かんでいるみたいで、自分のベッドなのに居心地が悪い。
何処かへ逃げ出したい――叶うならそれが最善の方法だ。
でもここは自分の部屋で、何よりほら、それ以前の問題が眼の前にある。
上に乗っかっている人が退いてくれなければ、何処にも行けない。何も出来ない。身動きさえ怪しい。それに、


「な、かじまさ…」
「――なんだ?」
「………」


この辺りも、勝手に想像していた英明像とは少し違っていて、居心地の悪さを助長する。
事が終わればさっさと身支度を整え、さっきまで抱いていた相手などに眼もくれず、さっさと出て行く。そんなイメージとは。

がっかり…の割合は少なかったと思っていいのだろうか。
そう考えるだけで胸が切ない。
幻滅されなかっただろうかとか、そんなことばかりが頭を駆け巡っている。さっきから、もうずっと。

どうして…なんだろう。

流されて関係を持った挙句、この人のことがもしかして好きなのかも?なんて、そんな若い子のようには単純に結論を出したり出来ないけれど。
恋愛なんてほとんどが、勘違いと思い込みで出来ているものだってことも知っている。

だから――この人に多くを求めたりはしたくない。
何かを期待するのは間違っている。


「中、嶋…さん…」


もう一度名を呼んで、その人目掛けて両腕を伸ばした。
背中がシーツから離れるくらい強く、首元にしがみついた。


「…どうした」
「か、おが…」
「ああ」
「見られると恥ずかしいので――」


和希を首にぶら下げたまま、英明は鼻先で微笑う。


「十分視覚に耐えうる容姿だと思うが?」
「………」


今のは褒められたわけじゃない。
聞き慣れたはずの軽口が、何故か酷い痛みをもたらした。
何も期待しないと決めたくせに、どうしてこんなに些細なひと言が聞き流せないのか。
一体何を、自分は欲していたんだろう。
どうしてこんなに、絶望的な気分になっているんだろう。


両腕から自然に力が抜けた。浮いていた背中は当然の摂理でぽすんとシーツに戻る。
その寸前、和希の手と入れ替わるように英明の鍛え上げられたふたつの長い腕が、背中とベッドの隙間にするりと入り込んできた。
固定に近い強さで和希の肢体を留め、鼻先すれすれまで顔を近づけてくる。
すぐに応えたりしない。相手に期待を抱かせない――そのくせこんな風に甘く蕩けさせる態度が。


「………タラシっぽい…」
「――誰の話だ?」


聞こえよがしな呟きは、当然相手の耳に届いて、あからさまに不機嫌さがその眉に現れる。


「タラシというのはもっと…そうだな、甘言でそそのかすものだろう」


成瀬のようにな、と英明の口から珍しくひとつ下の後輩の名が出て、成程と合点した。


「…確かに中嶋さん…に、歯が浮きそうな台詞って結びつきません…よね」
「………」


おそらく、この男を知る人間なら誰しもが頷きそうな話だろうに、頭から否定されてやや不満げな表情。
難しいお年頃? 
そんな愚かな想像を肯定するように、英明が柔いキスを仕掛けてくる。誤魔化すための手段、と自ら暴露するみたいに。


「…お前は如何にも甘ったるい台詞を吐きそうだな」
「はい?」
「そういう相手に、嬉々として言いそうだ」
「――」

さっき…自分は確実に何かを口走ろうとしていた。英明は、そういう・・・・相手、が誰を指すのかわかった上で言っている…?
言ってみろだとか、そんな可能性もあったりする…のか。さすがに穿ちすぎか。


「た…とえば…」
「ん?」
「中嶋さんは世界一素敵です、とか…?」
「そういうのはおべんちゃらと言うんだ」


言って、微笑う。珍しいくらいの、毒のない――


「じゃあ…うーん、中嶋さんの眼に見つめられると、凍りつきます――これじゃあ単なる事実ですね」
「今度はこき下ろす気か」
「難しいんですよ。お手本くらい見せてもらわないと」
「………」


どうするんだろう。ちょっと意地の悪い気持ちで言葉を待った。
どうせズルイこの人のことだから、のらりくらりと巧言で逃れるつもりだろうが。

英明は眼を細めると、指の腹で和希の頬から顎のラインをそっとなぞった。
普段のこの人とは相容れない優しい仕種に、それだけで胸がぎゅううと苦しい。


「――お前を…、お前のことを、ずっと欲しいと思っていた」
「そ…っ」
「ずっと、と言えるほど、お前との付き合いが長いわけでもないが」
「う、そ…だっていつから…」


それはお手本としての言葉?それとも本心?


「お前にとってそのほうが都合がいいと言うなら、好きに判断すればいい」
「――」
「いつから…はそうだな、おそらく4月――入学後のオリエンテーションでお前を見かけてからだ」


何よりも、和希の問いかけに全て真摯に応えようとする姿勢が、もう…


「――やっぱりタラシだ…」
「何」
「あの中嶋英明にここまで言わせるなんて、普通じゃ考えられない…」


信じ難い、ではなく、信用するに足りない、でもない。信じられないくらいスゴイことだって、わかってるのかこの人は。


「俺限定のタラシ、ですよ」
「やけにこだわるな」


微苦笑を確認してから、首元に飛びついた。さっきとは違う気持ちで、その場所に飛び込んだ。


「もう十分…歯が浮きましたから、だから、俺以外の誰にも…言わない…で――、言ったり…しないで」
「それはお前次第だな」
「俺…?」
「――お前の、心掛け次第だ」


浮き気味になった和希の背中を今度こそ抱き留めると、


「俺が丹羽や伊藤を好きだの何だのと、突拍子もないことを言い出さない限りは」
「限りは…?」


続く言葉の代わりに、背筋のラインに沿って掌をするりと下方にスライドさせる。


「…んんっ」


白い首筋に吸い付いて、くっきりと痕を刻み付けた。どうやらきちんと続きを伝える気はないらしい。
和希の余計なひと言で、だから機嫌が悪かったんだ――って気づいても、今更何の意味もない。


「中嶋さ…!」


しがみつく広い背中が、どうか他の誰かのものにならないようにと願い、昨日と今日の我が身の変わりように苦笑しつつ、
それもこれも全てこの人がタラシすぎるせいだと結論付けて、心の中で密やかに微笑った。




−了−









おまけ

【和希おめでとう'11】
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