「昨日と今日とで、一生分のキスをした気分です…」


俯きがちに呟くとその人は、この程度でか?と微苦笑し、また新たなキスを仕掛けてきた。




昨日――学生会室で、副会長…に告白されたわけでもなく…、よくよく考えればきっかけも今ひとつ不明だ――中嶋さんと、キスした。
ふたりでファイルを捜していた。会長は、不在だった。
資料棚の陰で。
しゃがんでいた和希が立ち上がったとき、そこに居た人と視線がぶつかった。
おそらく、その人が、こちらを見ていた。

少しの間。

ふたり以外、他に誰も居ない学生会室は静寂そのもの。
中嶋さんの腕が、棚板のひとつに伸びて、和希の前方を塞いだ。
必然的に、視界はその人しか映さなくなる。
手首の辺りから、腕へ。白い半袖のシャツは、学生というわかりやすい符号だ。
そこから首、そして顔。こんなにまじまじと副会長の顔(かんばせ)を眺める機会はそうない。
普段なら、どんな嫌味が飛んでくるか想像もつかない。
改めて視れば、本当に整った造作(ぞうさく)をしている。
切れ長の目元や、形のよい眉。鼻筋。シャープなライン。
肌も綺麗で、こちらは逆に、脂ぎった高校生のイメージからは遠い。


切れ味鋭い刃物のようなふたつの眼差しが、和希をじっと見据えるその眼が、キスしたがっている――ように見えた。
どうしてか、理由は考えなかった。おそらく和希が拒めばなかったことになるくらいの、細やかな欲望と感じたからか。


「…何か?」
「――いや」


多くを語らずとも、すでにお前は気づいているんだろうと――そんな風に、和希を試すように、口唇が薄い笑みを浮かべた。
ほんのちょっと焦らしてみたらどうするのかなと、やや意地悪な想像をしつつ、微笑み返して眼を伏せた。

口唇が触れてくるまでに、またほんの少しの間。煙草の匂いと共にやってきた、軽い衝撃。
どうしてそれを受け入れたのかも、深くは悩まなかった。
英明は間違いなく軽い気持ちだったろうし、ただそれに応えてみただけのことだ。

一度めのキスはゆっくりと離れて、くすぐったい視線が和希を捉える。
眼を開けるタイミングを見計らっているうちに、二度めのキス。
拒まずにいた理由は、それもあるようなないような。
英明の、綺麗な長い指に触れられるのは心地よかったし、そもそも理由なんて必要なかった。
言い訳をする相手がいるわけじゃない。





翌日も、学生会室は同じような状況だった。
丹羽会長は逃亡中にて不在。啓太はそれを捜索に出ていた。
昨日の今日でも、副会長は無論、何事もなかったかのような無表情さを保って、一向にはかどらない仕事を黙々とこなしていた。
昨日のアレは、ストレス解消――くらいだったんだろうと勝手に解釈し、和希も自分の席へと向かった。


しばらくは黙って与えられた仕事を片付けていた。
丹羽の探索に手間取っているのか、啓太はなかなか戻ってこない。
次第に閉塞した空気が漂い出し、そういえば昨日以前にだって、副会長とふたりきりになることは珍しくなかったと思い出していた。
つまり…意識しているということか。和希の側だけ、一方的に。


「――中嶋さんコーヒーでも淹れ…あ、今日は蒸し暑いですし、冷たいものでも買ってきましょうか?」
「……いや、俺はいい」


遠慮などこの人らしくないし、本当に必要なかったのだろう。その割にすっきりしない態度。今日の空模様のように曖昧で、いまひとつだ。
そして、その微妙な違いに気づいた自分に首を傾げる。


「…そろそろ啓太に連絡してみますか?ちょっと遅すぎますよね」
「どうせミイラ取りがミイラになったんだろう」
「え…?」


モニタから眼を離さずに、副会長は言い放った。


「伊藤は丹羽に丸め込まれて、口説き落とされた。お前も知っているだろう」
「え、えぇまぁ、啓太からなんとなくですが」


回りくどくて、話の方向性が見えてこない。だから、啓太は戻ってこないってこと…?
でもそれなら。


「わかっていて、啓太に王様を捜しに行かせたんですか?」
「………」


英明はふっと顔を上げ、PCから和希に視線を移した。
物言いたげな深い色の眼差しは、少なからず和希を動揺させる。


「――その逆だ。あの馬鹿も、伊藤の言葉になら従うかと踏んだが、どうやら俺の読みが甘かったようだ」


忌々しく吐き捨てても、それは本当に言いたかった言葉ではない気がした。
ヘンな…らしくない副会長に、ふとひとつの可能性を見出した。


「あの…中嶋さん」
「なんだ」
「もしかして――ですが、啓太のことが好きだったとかそういう…」
「――」
「あッ、王様ってこともありか…」
「お前、頭がどうにかしたんじゃないのか」


冷ややかな声で立ち上がった英明は、長々と聞こえよがしな溜息をついた。


「あ、あくまでも可能性の話ですので、気にしないで下さ…」
「どこをどう解釈すれば、そんな斜め上の結論が出せるのか、お前の優秀な頭脳にじっくりと問い合わせしてみたいものだな」
「すみません…」


謝ってはみてもやっぱり、この副会長はヘンだ…って何処かで思っている。自分の中で冷静に判断している。
英明はおもむろに窓辺に寄ると、煙草を取り出し火をつけた。そんな姿をモニタに向かう振りをしてこっそり盗み見た。
おかしい、のはその態度、及び言動。嫌味が中途半端で不発。そのくせ、無視することもしないで妙に絡んでく…


「――わ…ッ!」


英明が換気のために開けた窓から、勢いよく浜風が吹き込んで、机上のファイルを激しくはためかせた。
綴じられていなかった一部の書類が煽られて舞い上がる。
慌てて拾い集めるが、副会長はその場に留まり、悠然と煙草を吸っているばかりだった。


「………」


何故手を貸さない?と訝しむ思いよりも、どうしたんだと逆に不安に感じた。やはり、今日の彼の人はおかしい。


「…中、嶋…さん?」


ぼーっと突っ立っているという表現は、英明にはおよそ似つかわしくない。怜悧な風貌は、如何にも物思いに耽っている風情だ。
しかし、まず窓を閉めるという当然の行動にも意識を回さず、その眼はぼんやりと和希を映していた。おそらく…、自意識過剰でなければ。


「どうかしたんですか?」


結局和希が風を断つために窓辺に近寄ると、ようやく起動したらしい、優秀なはずの頭脳は、「なんでも」と否定だけして、吸殻を携帯灰皿にしまった。


「………」


ヘンですよ、と口に出すのはさすがにどうかと思い、窓を少しだけ、隙間を残して閉めて、そのまま席に戻ろうとした。


「――遠藤」
「…はい?」


呼ばれたので振り返った。それだけのことが、それだけじゃなくなる。
英明は、呼び止めたくせに何も言わない。何も言わないで、和希を見ている。


「……何か?」
「――お前は」
「ハイ」
「………」


絡みつくような視線を受け止め、和希も相手をじっと見返した。
自然と、昨日のキスを思い出す。
どうやら今日の英明は、そんなつもりはないように思われた。


「珍しいですね、中嶋さんがそんな風に考え込むのって」
「……俺が物を考えないような言い方だな」
「そうは言いませんけど。頭の回転が速い方だと認識していますから」
「お前に言われると、馬鹿にされているような気がする」
「…中嶋さん」
「なんだ」
「妙に突っかかりますね」


和希の返答が余程意外だったのか、英明の能面が一瞬僅かに崩れた。
「らしくない」を一段上がって、「変」な副会長は、益々憮然とした様子で口を開く。


「お前が、ロクでもないことを言い出すからだ」
「え?」


ここで唐突に責任転嫁されるとは思いもしなかった。言いがかりも甚だしい。


「それはさすがに無理があ…」


前方からぬっと腕が伸びてきて、矢庭に腰を引かれた。
片手で易々と抱え込まれて、今更ながら体格差を実感する。


「な…ッ」


昨日とは違い、せっかちに口唇を奪われた。角度が深くて、息苦しい。


「――な、いきなりなんですか!」
「………」









【和希おめでとう'11】
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