「ついたぞ」 「え、ええッ?」 急かされて車から降りた眼の前に、堂々とそびえ立つ高層ビルは上階が外資系のホテルで、えぇーと…? 頭上遥かを見上げて突っ立ったままの背中を叩いて、中嶋さんは微笑う。 「安心しろ。支払いはお前持ちだ」 「手ぶらでこういう場所に来るのって贅沢ですよねぇ」 「天下の御曹司が気後れか? 庶民ぶるのは趣味に留めておけ」 「気後れっていうか…何でしょうね。以前、結婚式か何かで、来たことがあったと思うんですけど…」 部屋に案内されひと息つくと、窓の外を見る余裕も出てくる。 都心の夜景は、不夜城の名に相応しい光の洪水。 「ホントに贅沢ですよね、こんな景色…」 呟いたが返事もなく、振り返ると中嶋さんが、ドア付近から何か運んでくるところだった。 ルームサービスのワゴン。その上にはガラスのシャンパンクーラーともちろん中身と、それから… 5号ほどのサイズのイチゴの載ったホールケーキ。"Happy Birthday"のチョコプレート。 「――」 何ひとつ声にならずに、その人を見、そしてすぐに眼を逸らした。 理由は色々ありすぎて絞り切れない。 さっきの別人ぶりといい、こんな演出といい、どうしたんだろう今夜は。 中嶋さんであってそうじゃないような――もしかしたらこの後どこかに売り飛ばされる? それとも別れを切り出される? 突飛な想像が忙しなく駆け巡る。 「どうした」 耳に優しく穏やかな声が、それを聴くことが、何故かとても切なくて、嬉しいのに泣きそうで、 俯いてただ、ありがとうございますと告げた。 「…言葉ほど有り難がってもいないように見えるが?」 いつもの軽口が、照れ隠しなのかどうかも判断できないで、手を引かれるままベッドの足元に腰掛けた。 隣に中嶋さんも腰を下ろし、傍にワゴンを引き寄せる。 流れる仕種を、無意識に眼が追う。 ケーキに手を伸ばし、白い生クリームをおもむろに指先で掬い取ると、口を開けろと鼻先に無言の催促。 あまり縁のない甘い匂い…どうしたって躊躇うものだと思いたいが、 「手ならさっき消毒したぞ?」 微笑みつきの求めに促され、口唇を控えめに開けた。 その隙間につ、と塗り込まれるクリームと指先の感覚が直接的すぎて目視できない。 離れていった手が、相手の口元に向かったところで、自ら完全に視界を塞いだ。 「…誘っているつもりか?」 このひとの眼には、キスを誘う媚態に映るんだ…ってそんな些細な言葉が胸をくすぐる。 とん、と冷たい感触に下口唇をノックされうっすらと眼を開けると、瑞々しく真っ赤なイチゴがそこで待ち構えている。 素直に口を開いて受け入れ態勢を取ると、赤い実は、意地悪なひとの手から向かいの口元に、見せ付けるように納まった。 「………」 文句など言うつもりもないが、赤の辿った軌跡から眼が逸らせない。 イチゴは、お尻の部分をはみ出させて中嶋さんの口唇から覗いている。 前歯に挟まれ、鮮やかな紅を晒している。 今…乞われている意味が、やはり自分にとっては、おそらく中嶋さんの思惑より遥かに重く、 みっしりと筋肉質な上体の、その両肩に手を置き、自らそこに口唇を近づけていった。 まごつく姿で、余計な愉しみを与えたくない。そんな判断もちらりと頭を過ぎる。 ほとんど会話らしい会話もなく、キスと指先の遣り取りだけの濃密な時間は、ひどく愛欲的なひとときだったが、 正直、それらを冷静に認識するだけの余裕はなかった。 不意に中嶋さんが立ち上がり、シャンパンとグラスを手にする。 ケーキに合わせた色合いの、ピンクゴールドのドンペリ・ロゼ。 乾杯の仕種で「おめでとう」と告げられたとき、頼りない涙腺が緩みかけるのがわかった。 「…なんだ、支払いにおののいて涙が出たか」 「――」 もちろん揶揄われているのもわかっていて、それがこのひとなりの気遣いだってことも伝わってきて、 だから却って切なくなる。 「中嶋さん、俺…」 「英明、だと言ったはずだが」 「え、だっ…て」 「何せヒモだからな。ヒモは主人に尽くすものだろう?」 「………」 どうして今日は――って思うことばかり…こんなに。 「俺は貴方にとって、そこまでの存在じゃない…」 「珍しいな、お前が自己卑下するなど」 「それは…」 「だが、お前が己をどう評価しようと、俺には関係ない」 「うん…」 突き放しているのに暖かい、このひとらしい言葉を噛み締めて、その厚みのある胸板に額を預けた。 長い指先が、ゆるゆると髪を梳き、やがて外耳を探し出すと、不自然な体勢でそこにキスを落とす。 「何か、欲しいものは」 「…これ以上望んだら」 「望めばいい。お前に請求書を回したりしない」 手の平が、後頭部を撫でながら項まで下がり、生え際をくすぐってくる。 「何も思いつきませんよ…?」 「――歳の数だけの花」 「そんな女の子みたいな…って、その手には乗りません!」 ぱっと身を離して顔を上げた途端、薄ら寒い予感が一気に蘇った。何ですかそのいかにもな表情… 「期待に添えなくて悪いが、わざわざそんな回りくどい真似をする必要もなくなった」 「え…?」 どういう…意味? 誰か情報源、が――まさか…? 誰か、などと思い巡らさずとも、可能性のある人間はひとりしか思い浮かばない。 その時間的余裕もあり、更には直前の会話は確か… 席を外していた5分間、そこでメアドか電話番号でも交換していれば、いつだって訊き出せる、そういう意味にも受け取れる。 わざわざ同行を望んだのには、そういう企みもあった…? はっきり訊いた、と宣言しない辺りが、このひと特有の厭らしさだ。 「――歳がバレるのが、そんなに重要な問題か?」 「それは…」 いますぐ秘書に連絡を取り、教えたのかそうでないのか問い質したい焦りに駆られるが、 腰に絡み付いてくる腕の重さと、あくまでも思慮深い色の瞳からは逃れられない。 逆にこちらが責められているような、卑屈な気分になってしまうから。 「もし俺が英明なら…17歳の高校生ならってやっぱり考える…」 「年齢差だけが問題なら、お前が上だろうが下だろうが同じことだろう」 ごく当たり前のことを当たり前に語る。ぶれない、と。それって凄いことだ。 「うん…」 「まぁ、こだわるなと言うほうが無理な話かもしれないが」 「え…」 今のはどういう――意味深に微笑まれると余計に深読みしたくなるから! 「ホントに訊いた…んですか、岡田に」 「…どちらだと思う」 「う゛〜」 答えられない。答えたくない。 「仮に訊いていたとしても、訊かなかったフリをしてくれると思う。俺の英明なら」 「ふん。その自覚があるだけよしとしてやろう」 背中を引き寄せると、そのまま体重をかけてベッドに転がった。 「お前はどうも、その辺の感情が希薄だからな」 「その辺…」 それは独占欲、ってこと? さっきから、つっ込むポイントが分かりづらいのは、きっとわざとぼかしているせい。 「こっちは、いつ棄てられるかと日々冷汗ものだ」 「そんなわけ」 キスを迫りながらの囁きは、表情が近い分、近すぎて見えない分、本音のようにも聞こえる。 俺だって不安だ――と。 「英明…」 好きだって、大好きだって、棄てるわけなんかないって、 誕生日忘れて部下と飲みに行こうとしてごめんって、 こんなに不甲斐ない恋人で…歳上のくせに頼ってばかりで。 ごめんねとありがとうを言い尽くせないくらい繰り返す。 欲しいものなんてひとつしかないよって小さく告げたら、どんな表情をしてくれるだろう。 今夜くらいは…命知らずでも、いいかな。 −了− 【和希おめでとう'09】 Copyright(c)2009 monjirou Material/空に咲く花 +Nakakazu lovelove promotion committee+ |