「乾杯」


初めて入った店だけれど、落ち着いて雰囲気のあるいいレストランだ。
接客も対応も文句ない。
こんな店をわざわざ予約していてくれたのに――俺って…


「理事長はお疲れのようだな」
「え、いや、そんなことは――」


役職で呼ぶなんて嫌味以外のナニモノでもない。余計に自己嫌悪に陥るばっかりだ。
もちろん向こうはその辺も計算ずくなんだろうけど。


「あの…中嶋さん――は普段は何を?」
「あぁ、コイツのヒモです」
「……は?」


岡田はきょとんと固まって、こっちはあやうくワインを豪快に吹き出すところだった。


「なか…ッ!」
「冗談です。しがない学生ですよ」
「あ、あぁでは院生か何かですか」
「まぁ、そんなところです」


この大人びた容姿と態度を見て、おそらく誰も高校生だなんて信じないだろう…末恐ろしい、ホントに。


「あ!申し訳ございません。詮索するつもりでは…お気を悪くされたのならお許し下さい」
「理事長の身辺に気を配るのも、秘書の重要な役割ですよ」
「は…恐れ入ります」


自称ヒモ、が寛容な笑みを浮かべたので、岡田はすっかり中嶋さんを受け入れてしまったようだ。
こっちはさっきからいつ何を暴露されるのかってハラハラしっぱなしだし、
中嶋さんの猫かぶりっぷりに気持ちが悪いわで…生きた心地がしないくらいなのに。


「和希のフォローは大変でしょう。ご苦労お察ししますよ」
「とんでもない!理事長ほど有能な方にお仕え出来ることを大変誇りに思っております。
 このお歳で、各界各方面からの期待が大きいことにも頷けます」
「…人は見かけによらないものだ。普段の和希は年甲斐もなくじゃじゃ馬で手に負えない」


ちら、とこちらに視線を遣って、片頬だけでにやりと笑ってみせる相手の足を、テーブルの下で小突いてやった。
大体なんでそこで、理事長褒め殺し大作戦みたいなことになってるんだ…
岡田も大概石塚の影響を受け過ぎだろう。

そもそも今日の目的がほとんど果たされていないというのに、予定外のゲスト参加で、これでは話を切り出せもしない。


「…っと、失礼。電話が」


タイミング悪く、マナーモードにしておいた携帯が、ポケットの内で震動し出した。
このふたりを席に残しておくのは非常に不安だが、緊急事態かもしれない。
慌ててレストルームに移動し、テーブルを離れたのはほんの5分ほど。




「――急ぎの仕事か?」
「あ、えーっと、うん大丈夫…」


一体ふたりでどんな会話をしてたんだろう。って、わざわざ訊くのも妙だし――


「石塚から、来週の授業はどうするのかって……あ。」


余計なことに気を取られ過ぎていて、多重の意味での失言をかました。
並んだ4つの眼が、揃ってこちらを見つめている。えーっと…?


これはどう…したものか…
理事長、を認識している中嶋さんが、学生も兼業してるって知っていてもいいのだろうか。
こんなことなら、もっと入念に打ち合わせをしておくべきだった。
しかし嘘などすぐに露見するだろうし、益々事態がややこしくなって――あぁ混乱する!


「――申し訳ございません!理事長に来週の予定をお訊きするようにと、石塚先輩より申しつけられておりましたのに」
















矢庭に岡田が、向かいの席から腰を浮かせて頭を下げたので、
かなり間隔を空けて並んでいる、他のテーブルの客までもがぎょっとして、こちらにちらちらと視線を送ってくる。


「岡田、」
「――」
「わかったから。第一それは石塚の役割だろう」
「…本日は石塚先輩が午後から本社勤務でしたので、そのように」
「………」


どうもおかしい。秘書たちのいざこざが、こんな面にまで飛び火して?全くややこしい…


「――どうせなら、そっちも呼べば話が早いんじゃないのか」
「え?石塚を?」
「あぁ」
「…先輩は――俺が同席ならいらっしゃらないと思います」


しおしおと小さくなって、岡田は項垂れる。
これは、ひょっとすると…


「石塚と何かあったのか?」


さりげなく訊き出すのも上司の手腕のひとつと心得ている。
ただこういうのは、斜め向かいに座る院生のフリをした二枚目のこの人の方が格段に上手――だ。
いつもいつもいつもいつも…今とは逆の立場で実践されている。隠し事など、まともに出来た例がない。


「いえ、その、特にそういう…わけでは…ないのですが――」
「お前に訊いたことを、石塚に漏らしたりはしないが…」
「滅相もない!理事長のお心を煩わせて申し訳ないのですが、これはその、個人的な問題で」
「そう…か」


それきり岡田は黙ってしまった。これ以上深く追求しても捗々しい応えはなさそうだ。
こんなとき中嶋さんならどういう手段に出るか――…


「込み入った話なら、河岸を替えたらどうだ?」


その声が聞こえたかのように、傍観者に徹していた中嶋さんが急に口を開いた。
見事な助け舟のように思えたのだが、岡田は恐縮した様子で、


「いえ、俺はこれで」





「――理事長、今日は本当にありがとうございました。ご馳走様でした」


大きな体躯を深々と折り、岡田は上司とその連れの乗り込んだハイヤーを見送る。


「お気をつけて。中嶋さんも、今日はありがとうございました」


車が走り出しても、歩道上の人影はなかなか立ち去らない。
律義者の秘書は、自分が同車しなかったことまでも気にしているのかもしれない。


「――上司失格ですね」


人込みに紛れて見えなくなった辺りで視線を前に戻し、バックシートに背中を預けて溜息を落とした。


「何の収穫も得られなかったし…それに」


ちら、と隣のシートを意識して呟く。


「何だ」
「いえ…恋人としても失格だなと…」
「――急にどうした」
「だって今日はせっかく…」
「ようやく思い出したわけか」
「はい…」


答える声は頼りなく掻き消えた。


「ごめんなさい…」
「忘れるほどの歳だということだ。――そこに得るものがあれば相殺される」
「え…何です?」


気にしなくていいって風の囁きも、続く言葉に塗り潰されてしまう。
前方を見つめたままの横顔がふっと緩むのが、行きかう車のライトに照らされ、ほんの一瞬垣間見えた。


「知りたいか?」
「う…」


いつものセクハラまがいの発言なら、車の中でもあることだし遠慮したいものだ…が。


「普段見られない、お前の社会人ぶりも見られたことだし」
「それはこっちだって同じですよ。院生なんて嘘――」
「俺は学生と言っただけだ。大体、真実をバラしてもよかったのか?」


バレて困るのはこっちであって中嶋さんじゃない。
よくわかっているじゃないかと揶揄するように、ズルイ同乗者が声に出さずに笑った頃、
ハイヤーは都内の高層ビルの車寄せに吸い込まれて停まった。









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