2月15日。
日曜の朝っぱらから、けたたましく呼びたてる声に叩き起こされた。


『和希、おはよ〜朝ご飯なくなっちゃうよ〜』


反応がないと見ると、騒々しい訪問者は次の手段に出た。
ベッドサイドの携帯が間を置かず振動し出す。


「………」


鬱陶しいが、居留守に素直に引き下がる相手でもなさそうだ。
上掛けの中から腕を伸ばし、手探りで本体を掴む。
通話ボタンまでは指が覚えている。


『――あ、和希?まだ寝てたんだ?』
「…………遠藤なら、今取込中だ」
『あッ…』


扉の向こうで絶句し、慌てて携帯の画面を確認でもしているのか、耳が呟く声を拾う。


『やっぱ和希のケータイ………だよな……あの〜誰…ですか?』
「名乗る必要などない」
『………』


再びの沈黙。一拍置いて、携帯と廊下側からステレオで、
更に手元の携帯の持ち主がちょうどバスルームから戻ってきて、


『――中嶋さんッ!?』
「――中嶋さんッ!? ヒトのケータイ勝手にッ!」


銘々がかしましく叫ぶ。しかも妙にハモり気味に。
外から目当ての声を聞きつけた伊藤が、またひと吠え。


『和希、そこにいるのっ?』




斯くして、ヘビとカエルとナメクジの三竦み――
詰問しようと息巻く伊藤と、頬を掻きつつ明後日に視線を泳がせる和希と。


「え〜と啓太、外で話そうか」
「ダメ! 和希、中嶋さんのいないところでごまかす気だろ」
「う゛…っ」


早々に進退極まった和希が、ちらりとこちらに視線を寄越した。
助けを求めて…ではないだろう。せいぜい、余計なことは言うな、がいいところか。
大体、伊藤はどうしてこんなにも和希の身辺に口を突っ込むのか。
コイツが理事長だってことを認識していて、その上でという点がどうも腑に落ちない。


「――…中嶋さん?」
「…寝直す。起こすなよ」


考えるのも面倒で、ベッドに潜り込み、コイツらに背を向けた。
…が、折角の気遣いを無視して伊藤が話を振る。


「和希が話す気ないなら、中嶋さんに訊くからね」
「話さないとは言ってないよ、えーっと、だから…」
「どうして和希のベッドで中嶋さんが寝てるのか、だろ!」


こう足元でキャンキャン喚かれては、安眠も程遠い。


「――篠宮には昨夜了解を取った。更にお前の許可までいるとは初耳だな」
「中嶋さんっ」


声を荒げたのは和希のほうだった。
啓太を苛めるな――か? こっちは残念ながらすぐに読み取れた。


「ホントか?和希」
「え、あー…これには退っ引きならない理由がな…」
「和希…わかんないよ、ちゃんと日本語でしゃべってよ」
「え?」


漫才コンビかお前らは。


「だ、だからな?啓太。これにはう〜ん…抜き差しならない事情があって」
「事情って?」
「…猥褻な事情だな」
「え」
「中嶋さんッ!?」


ぼそりとベッドの中での呟きに、ふたり揃って顔色を変える。
人の善意を無にするヤツには、それ相応の報復があると知れ。


「和希、それってどういう…」
「あ、いや、誤解だって。今のは言葉の取り違いで、つまりその」
「――伊藤が知りたいのは、俺がここにいる理由じゃなく、俺と遠藤が何をしていたかだろう?」
「そ…っ」


伊藤の、和希を見る眼が、無邪気さを装いつつその実…というのは、
傍から見れば分かり易過ぎるほどだが、
こと伊藤に関しては冷静さを欠くコイツには全く見えていないのだろう。


「昨夜ここで何があったか、事細かに再現してやっても構わないぞ」
「中嶋さん!俺が困りますっ」
「――だ、そうだ。いくら親友のお前が相手でも、言いたくないこともあると察してやれ」
「………」


諭されて黙り込んだ伊藤はどうやら、


「け、啓太…?」


表情ひとつで和希を激しく狼狽させたらしい。


「オ…オレはただ…和希は立場のある人だけど、ヘンに鈍いトコあるし、心配で…
 ――心配くらいしたらダメなのか…?」
「ああうん、わかったから、な?啓太」


必死に宥める様子が、背中越しに見て取れる。
ここは、面倒にならぬよう沈黙を守るほうが賢明かと思いきや、


「中嶋さんの毒牙にかかったらあっという間だって…どうせ和希もすぐに飽きて捨てられるって…
 だからオレ――…」
「啓太…?」
「――伊藤、そのくだらん戯言を誰に吹き込まれた」


むっくりと山の如くに起き上がってくる存在に、伊藤はあっと短く叫び、いきなり我に返ると、
一目散に和希の部屋を逃げ出していった。


「オレ、ちょっと用事思い出したからっ」
「え、おい、啓太…」


伊藤の裏で糸を引いていたのはおそらく…


「――あの…中嶋さん」
「なんだ。追い駆けて行って、慰めてやらなくていいのか」
「…え、えぇ、まぁ……」


少しはコイツも"啓太大事"から脱却できたのか――…


「啓太も悪気はないと思うので、あまり怒らないでやってくださいね」


いい傾向だと思いかけた途端、これだ。


「お前…俺のモノになる気なら、少しは気を遣ったらどうだ」
「え?何がです?」
「………」











半月後、卒業式を迎え、間を置かず前期試験の合否発表――そして3月14日。
引越し立ての新しい住処に、約束も事前の連絡もなしに和希が現れた。
住所は請われて伝えておいたが、マンションエントランスからいきなりの電話。
不在の可能性を考えなかったのだろうか、仮にもコイツが。


「――すみません、急に」


玄関先で神妙に告げる和希はきっちりとスーツ姿で、仕事の途中を抜け出してきたか――


「あぁ…どうした」
「どうしても今日お会いしたかったのですが、夜も時間が取れそうになくて」


合間を見て出てきた――と、首から上は全く変わらないのに、
大人びた恰好のせいでどこかちぐはぐな存在が告げる。自分の中で器用に切り替えができない。


「…コーヒーを飲む時間も惜しいか」
「いえ…大丈夫です」


遠回しな言葉に、和希は微笑み、


「――お邪魔します」


粗方片付けの終わった室内をぐるりと興味深げに見渡すと、
「中嶋さんらしいお部屋ですね」などとわかった風な口を利いて、淹れ立てのコーヒーの置かれたテーブルについた。


「――それで、用件はなんだ」


のんびりしている余裕などないんだろうと問えば、
思い出したように上着の内ポケットから紙切れを取り出し、卓上に載せた。


「…なんだ」
「バレンタインに熱烈な告白を頂きましたから、そのお返しです」


のほほんと何を言い出すかと思えば。


「開けて下さって構いませんよ」


胡散臭さを感じつつ、白い便箋にも見えるそれをゆっくりと掌で開く。


「…契約書?」


一枚の無地の用紙に印字された文字列を、思わず声に出して読み上げた。


「『――は以下の通り契約する。
 中嶋英明は遠藤和希を、別途定めた契約において、一定期間所有できるものとする…』
 ――本気か?」


もちろんその問いの意味はひとつに断定できない。様々な含みを込めて。


「そのつもりですけど」
「伊藤を泣かせてもいいのか」
「………」


黙るなそこで。


「…啓太はいずれ納得してくれると思います。中嶋さんが、噂のような人じゃないってわかれば」
「…お前は」
「はい?」


皺を気にせず直に床に座って、和希はコーヒーを口にする。
長居する気もない相手に、ハンガーを勧める気にはなれなかった。


「お前の方こそ――」
「何です?」
「俺が卒業して清々しているかと思っていたが」
「それはどういう…」


掴み処のない笑みが、すっと影を潜めた。
無表情に近い和希は、成程立場に相応しいようにも思える。


「…中嶋さんって結構――アレですよね」
「アレ?」
「ん〜頑固というか…ちょっと違うかな。信用できないんじゃなくて、端から信用する気がないんでしょう?俺のこと」


指摘には動揺しなかったが、そもそも正しいのかどうなのか定かじゃない。


「同情や憐憫で貴方を受け入れるほど、俺は心広くありませんよ?――だからその為の…」


書面を指先で示し、


「少しは払拭する材料になりませんか?」
「…ふざけているだけかと思ったが」


性質が悪すぎる。これでは伊藤が不安がるのも無理はないと。


「まさか」
「…お前にメリットはないぞ」
「う〜ん、それはこれから追々…――あ、ときどきここで息抜きさせて頂けると嬉しいかも」


呑気で鷹揚なのは、やはり育ちのせいなのだろう。好意的な見方をするなら。


「そう言うなら、上着くらい脱いだらどうだ」
「…そしたらきっと、帰りたくなくなりますから」


しれっと、もののついでみたいな誘い文句…は…天然か――


「そう言われると――帰したくなくなる」


腕を伸ばし軽く引けば、相手はするりと近づいてきて、胸元にすっぽりと納まった。


「――今日は、帰らないと」
「…あぁ」


ごめんなさい、の言葉に頷き、一度だけ強く抱き寄せ、すぐに力を抜いた。
すると和希は言うに事欠いて、


「…あんまり物分りがよすぎる中嶋さんも気持ち悪いですね。…それとも、一旦手に入ったら飽きてしまいました?」
「………」


相変わらず辛辣な舌だ…が、事実、
どんな瞬間にも、これ自身を手に入れたと確信することはない。
抱え上げた膝の下で和希が絶頂を迎えても、抱きしめる腕の中から、上目遣いに微笑むのを見つけても。
立場ある大人が本気になるはずがないと、逆に何処かで確信している。


「――紙切れ一枚でお前が手に入るならと判を突いたら最後、何処かの国にまんまと売り飛ばされるわけだな」
「何ですかその古臭い詐欺」


咄嗟に体よく誤魔化した言葉に、腕の中の和希はくすくすと微笑む。


「それもこれも、中嶋さんが肝心なことを口にしないからですよ?」
「いきなりなんだ」
「だから、俺に何か言うことあるでしょう?」


期待に満ちた眼――仮に本気ならばの話だが。


「…ない」
「中嶋さんって案外照れ屋ですね。まぁ18歳なんてそんなものなのかもしれませんが」


含みたっぷりに大人を誇示し、言葉、態度、眼差しが挑発する…甘い香りを纏う和希の全てで。
誘惑に抗わずに口唇を重ねた。
しっとりと身を委ねる和希は、柔らかなキスなどではきっと誤魔化されない。
気が向いたらそのうち、なんて口車にも易々と乗せられはしまい。
美しく、したたかで、厄介な存在…が相手では、どうやらこちらが折れるしかないようだ。



「――降参だ」


お前の望む言葉を、今、心から。
ただしそれを聞いた後は、もう何処にも戻れないと思え。





−了−








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