この前まで桜が咲いていたような気がするのに、あっという間に若葉になり、気がつけば紅葉、季節は大慌てで冬へと向かう。


「…本当に時間の経つのって早いですよね」
「年寄り臭いセリフだな」
「確かに…17、8の頃はそんな風に思いもしませんでしたね。中嶋さんもきっとそのうちわかりますよ」


ふっと俯きがちに微苦笑する和希は大人びた、実際には年相応なのだろう――表情を垣間見せた。


「そういえば…もうすぐ誕生日ですよね、中嶋さん。何か欲しいものあります?」
「――特には何も」
「そう言うと思いました。でも今回だけは…」


不意に言葉を切り、和希は顔を上げた。
何か決意を秘めたような眼差しで、じっと英明を見据える。


「これが最後に…なると思うので」
「――何の話だ」
「もう終わりにしませんか、俺達」
「藪から棒に何だ」
「結納の日取りが決まりました。年明けには――」


婚約することになりそうです、と、淡々と事務的な報告。


「…初耳だな」
「えぇ、今初めて言いましたから」
「お前の意思か?」
「鈴菱の総意です」
「……で?」
「俺も色々理由をつけて先延ばしにしてきましたけどここらが潮時のようです。このままだと中嶋さんは俺の愛人になっちゃいますし、それは申し訳ないんで……」


別れましょう、と見えない檻の中で生きる大財閥の若き後継者は微笑んでそう言った。


枯葉が舞う遊歩道。
隣りを歩く男と同じ景色を見る事はもうないだろう…と和希は思う。
成長した啓太との再会、想像以上に胸を躍らせた普通の学園生活、そして初めて本気になった恋。
いつか終わる夢だと毎日毎日胸に刻んで過ごしてきたせいで、目を瞑れば楽しかった思い出が鮮やかに浮かび上がる。


英明との事は和希にとって全くの予想外だった。
予想外の…幸せだった。
いつか終わる夢を終わらせたくないと願ってしまうであろう危険な要因を受け入れてしまったのは周りに迷惑なエゴでしかなく、今和希はその代償をまとめて払わなくてはならない。
幸せとは何かを教えてくれた相手に対しての裏切り行為だとわかっていても、組織の一部でしかない自分にこれ以上の自由は許されないのだから、と和希は覚悟を決めていた。


……決めたはずだった。


「わかった」


いつも冷静で声を荒げることのない年下の男はこんな場面でもやはり動じない。
和希は予想通りの反応に苦笑しながらも、身体の深いところで身勝手な胸の痛みを覚えていた。
(まったく………本物の恋っていうのはタチが悪い…。こんな時に仕事で使うポーカーフェイスが役に立つなんて…)
鈴菱の後継者として対人関係を友好に進めるために培ってきた所作や経験が、今にも崩れ落ちてしまいそうな和希の動揺を隠し平静を装う仮面となっている。
だがそれも長くはもたない。


すぐにこの場を去りたい、と和希が英明と一緒にいる時間を恐れたのはこれが初めてだった。
英明は呆れたように小さく首を振る。


「それなら俺の誕生日のプレゼントなど聞いたところで無意味だろう? 別れた相手にのこのこ会いに来るなんて馬鹿らしいことこの上ないからな」
「……そうですね」


英明がわからないわけがない。
和希が口にした『誕生日プレゼント』が英明に会うための口実だと。
そして同時に英明が自分の手から離れていったモノに構ってやるような人間ではないことを和希は良くわかっている。
英明を正面から見れない和希はただ枯葉が宙に舞っていく姿を目で追いかけていた。
(何年経ったってこの光景も他の思い出と一緒ではっきりと覚えてるんだろうな……)


もう言うことは全て言った。
相変わらず胸の奥は焼け付くように痛むけれど和希には英明との別れ以外の選択肢はなかったから。
(ここでサヨウナラ、だ)
一歩足を踏み出して口を開きかけた和希の言葉は憎らしい程落ち着いた愛しい男の声に遮られる。


「10年後…鈴菱は日本に存在しなくなる」
「え?」


言われた内容があまりに非現実的で思わず視界にいれないようにしていた英明を振り返る。


「なんて…言ったんですか?」
「鈴菱は俺が潰す。今は無理でも10年あればやってみせるさ」
「何故?」
「心配するな。お前に非難などこない。悲劇の後継者として扱われるように操作する」
「そ、そうじゃなくて…!」


(鈴菱を…潰す?)
鈴菱グループが日本から消えるという事は国を支える大きな基盤が消えると言っても過言ではない。
それは完全な脅迫であり犯罪だ。


「戦後最大の不況が訪れるだろうな。経済は滞って鈴菱の社員どころか関係会社の従業員も路頭に迷う。まぁ、俺には関係ないが…」
「どうして!」
「お前がそれを望んでいるからだ」
「そんな……」
「俺達が別れなければいけないのは『鈴菱の総意』だと言ったな。お前の意志ではないのだから尊重する理由はない」
「…………」
「お前がそれを望んだんだ、和希」


………重い沈黙が流れた
その空気は周囲を巻き込み、果てしなく続くかと思われた……
が、風に巻かれた枯れ葉の小さな音と同時に、ふっと空気が変わった。


「で?」


短く問う中嶋の視線の先には、年齢不詳の不敵な男のいつもの笑みが浮かんでいた。


「……俺がそう言う事ぐらいは予測済みなのだろう? 大体悲劇のヒロインを気取るような殊勝さがお前にあったとは、とても信じられないがな」
「…一寸ぐらい浸ってみたかったんですがね…」


苦笑して肩を竦める様は、それでも気を張っていたのだと判る。


「万が一そう言って頂けない場合は、どうしてくれようかと思っていたので、良かったですよ」
「ほう、万が一とは見くびられたものだ」


そう言ってお互い分かり合ったように笑みを交わした。
戦闘開始の合図である。


「さっき中嶋さんが言っていた事を本当にするのであれば、俺はそれを全力で阻止します。鈴菱は潰させません」


先ほど怯んでいた人物と同じ人物とは思えない強い目で、和希は自分が鈴菱和希である事を主張していた。


「具体的にはどうするつもりだ?」
「そうですね…とりあえず、中嶋さんには消えてもらいます」


にこやかに言い放った和希を、英明は喉を鳴らして笑った。


「凄い発言だな。鈴菱の御曹司自らの言葉だと思うとぞっとする」


到底ぞっとしているようには見えない英明の態度に、今度は和希が苦笑した。


「やだな、鈴菱はそんな事しませんよ。するのであれば…俺が、です」
「…御曹司自ら?」
「はい。中嶋さんが居なくなった後は俺も中嶋さんの後を追います」


自分の後を追う。という和希の言葉は、実質自分を人質に取ったようなものだった。


「……わかった。さっき言った事は取り消そう」
「そうしてもらえると助かります」


和希だけは守ると言っていたはずなのに、その和希自身が居なくなっては元も子もない。
英明は長い溜め息と共に自らが折れる事にした。


「…俺の誕生日プレゼントだが」
「何か思いつきましたか?」


和希は急に戻された話に今まで纏っていた雰囲気を一新し、言うなれば鈴菱から遠藤へと雰囲気を変えた。


「ああ、俺が”一番欲しいと思っているモノ”をくれ」
「中嶋さんが一番欲しいモノ?」
「それ以外は受け取らないからな」


逸らされる事のない視線に目を背けたくなった。


「…もし違うモノを送ったら?」
「俺が欲しいモノが何なのか、お前なら分かるだろ?」
「…」
「俺が欲しいモノはそれだけだ、他に欲しいモノなど何も無い」
「…」
「…寒くなって来たな、帰るぞ」


初めてと言っても過言ではない英明が差し出した手に、和希が少し迷いながらも自らの手を添えるとそれは思いのほか強い力で握り返された。
冷たくなっていた指先から伝わってくる英明の温もりに胸が苦しく悲鳴をあげた。








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