仮にも付き合っているのに、全く手を出されないというのも何なんだろう。
不安を通り越して、すでに悔しい気持ちでいっぱいになっているのは、まごうことなき事実だ。
ここ、ベルリバティスクールの超有名人・中嶋英明と付き合っている俺、遠藤和希は、最初に心に決めた覚悟があった。
それはあの人を拒まない、という事だった。
とにかく性に奔放な彼のこと。
幾ら俺と付き合い始めたからといって急に操立てするとか、そんな風に俺の事だけを考えてくれるようになるとは思えなくて。
拒んだら最後だと、そう思っていたのだ。
それなのに、当の本人は全く手を出してくる様子もない。
それどころか、キスさえも仕掛けようとしてこない。
あまりに中嶋さんらしからぬ健全な付き合いに、もしかしたら俺自身に何か問題でもあるのでは、と啓太に相談する事にしたのだ。
「いや、でもさ・・・和希の事、大事にしてくれてるって事じゃない?」
「・・・・・それで他で解消してたら意味ないだろ」
「中嶋さん、浮気でもしてるの?」
「いや・・・そんな事実はない・・・けど、さ」
ないから余計、戸惑ってしまう。
少なくとも、俺と付き合う前の中嶋さんが、どれだけ乱れた生活を送っていたのかは知っているつもりだ。
週末ごとに出掛け、女も男も関係なく抱いているという噂が真実だと、他でもない彼本人から聞いたのはそんなに遠い昔の事ではない。
だからこそ、覚悟していたのだ。
自分から懐に飛び込んだ獲物を、中嶋さんが見逃すわけがないと。
「・・・・・・何でなんだろ」
「そんなの俺には分かんないけどさ。でも和希」
「ん?」
「そう思うってことは、和希は・・・中嶋さんに、さ・・・キス、して欲しいってこと?」
そんな風に顔を紅くしながら訊ねてきた啓太に、俺はどもりながら答えを返す。
「――――― なっ、なに馬鹿なこと!そんなワケないだろ!」
「なぁんだ、そうか」
「だから違うって言ってんだろ!聞いてる!?人の話!!」
「だったら簡単じゃない」
「だから違う・・・・って、え?何が簡単?」
「言っちゃえばいいんじゃない?」
「なにを?」
「中嶋さんにさ。キスして下さい、って」
「・・・・・・・・・・・・・言えるか!そんなのっっ」
啓太の馬鹿ーっ!と叫んで、周りの視線を一身に浴びた俺は、そのまま走ってその場を逃げ出す選択しか残されていなかった。
・・・・・・・・・そうでした。
俺としたことが・・・ここ、教室だし!!
最低、最低、ホント最低。
そんな風に呟いて。
俺は、ひたすら寮の自室へと走り続けた。
「お前は一体、何をやっているんだ?」
「な、に・・・がですか?」
「噂になっているぞ?奇声を発しながら、校舎内を走っていたと」
夕飯後、中嶋さんに捕まって部屋へと連行されると、一番聞きたくなかった言葉が耳に届いた。
誰にも、っていうか、誰より知られたくなかった人なのに!
まさか啓太に話してた内容までバレてないよな・・・?
「い、いえ・・・別に奇声なんか発した覚えはないんですが…」
「丹羽も見たらしいが?」
「王様見てたんですか!?」
「やっぱり騒いでいたのは本当か」
「・・・・・・・・っ」
「で?何を隠している?」
「・・・・何も」
「何も?」
「えぇ、別に・・・何も隠してなんかいません」
そう言いながら目を逸らせば、鼻で笑ったような声が返ってくる。
「嘘だな」
「う、そ・・・って・・・」
「俺が見抜けないとでも思うのか?」
「・・・・・っ」
「何を隠している?遠藤」
悔しいけど、この人に隠し事が出来ないのは事実だ。
惚れた弱みなのか、なんなのか。
俺はいつも中嶋さんに降参してしまう。
でも、今回ばかりはいつもと勝手が違う。
「――――― 言えません」
「言えない?」
「はい・・・」
「何故」
「・・・・・・貴方に嫌われたくないから・・・」
こんな女々しいことで悩んで。
馬鹿みたいに悩んでいるなんて、知られたくない。
キス、して欲しい。
啓太の提案みたいに、簡単に言えればいいのに。
そんな風に思って口唇を噛み締めれば、いつの間に傍に来たのか、中嶋さんが俺の口元に指を当てて撫でる。
その優しげな仕草が、すごく辛くて。
俺は、中嶋さんの手を叩くようにして振り払った。
「もう・・・・やめて下さい」
「何を?」
「そうやって・・・・俺を振り回して楽しいですか?」
「遠藤・・・?」
いつもの冷静さとは少し違う、怪訝そうな声を発した彼に、俺は叫ぶようにして言葉を投げつける。
「1人で勝手にドキドキして・・・そんな風に物慣れない後輩をからかって楽しいですか!?」
「あぁ、楽しいな」
「・・・・・・・・・・っ」
熱を上げられると面倒だったから手を出さなかったのか。
それとも、好みとは違っていたから興味も沸かなかったのか。
だから、キスはおろか、抱こうとさえ思わなかったのか。
俺、だから。
中嶋さんの、そんな対象にはなれなかったのか。
からかう相手としか、見てもらえない。
それなら、以前のままの関係のほうが良かった。
俺の告白なんて無かったものにしてくれたほうが良かった。
そうすればこんな、傷つくことも無かったのに。
「・・・・・・もう、中嶋さんの部屋には来ません」
「何?」
「学生会室も・・・・行きません」
初めから、こうすれば良かった。
この人の特別になりたいと。
そんな風に思わなければ、良かったんだ。
「今まで付きまとって、すいませんでした・・・・さよなら」
もう、2度と貴方と2人きりで逢ったりなんかしない。
これ以上、苦しみたくなんかないから。
だから、これで終わり。
2度と此処に来ることもない。
でもきっと、中嶋さんは清々するんだろうな。
そんな事を思いながら踵を返してドアに向かえば。
不意に腕を引かれて、俺はそのまま後ろに倒れこむ。
それでも痛みを感じなかったのは、倒れこんだ先が柔らかな何かだったから。
温かみのある、その感覚が信じられなくて上を向けば、眉をしかめた中嶋さんの顔がそこにあった。
「お前は何を勝手に結論付けている?」
「勝手に、って・・・・」
「俺から離れるなんて、今さら許すわけないだろう」
「え?」
「お前は俺のものだ。俺の許可無く勝手に離れるなんて、許さない」
背中から抱きしめる腕は、中嶋さんのもので。
背中から感じる温もりは、中嶋さんのもので。
確かに中嶋さんらしい不遜な物言いに、俺は何故か頭がクラクラするほどの酩酊感を憶える。
「ど、し・・・て・・・・?」
「何だ?」
「俺なんか・・・どうでもいい、んじゃ・・・」
「誰がいつそんなこと言った?」
「だ、って・・・・」
じゃあ、どうして。
どうして1度も、手を出そうとしなかったのか。
言葉に出来ない思いを、それでも何処か感じ取ったのか、中嶋さんは俺の身体を反転させて抱きしめ直す。
「俺がお前を大事にしたら可笑しいか」
「っ、ちが・・・・」
慌てて上を向きながら反論すれば、真剣な色を湛えた眼差しが俺の視線を受け止める。
・・・・・あぁ、俺は何を見ていたんだろう。
この人は、こんなにも俺を大切に見守っていてくれたのに。
柔らかで、温かな感情を、確かに識っていたはずなのに。
「ごめんなさい・・・」
「・・・・・分かればいい」
瞬きをした瞬間、零れ落ちた涙を優しく指先で拭う温もりは、望んでやまなかった中嶋さんのもの。
それが嬉しくて、幸せで、次々と雫が滑り落ちる。
「いい加減、泣き止め」
「だ、って・・・・」
「お前は、誕生日に俺に子守をさせるつもりか?」
ため息をつきながら紡がれた中嶋さんの言葉を、反芻するように受け止めて。
次の瞬間、俺は大きく目を見開きながら叫んだ。
「た、誕生日!?誕生日って・・・中嶋さんの!?」
「お前が今日でなかったら、そうだな」
楽しげな表情を浮かべて寝耳に水な事を言う中嶋さんに、俺はさっきまでの涙を忘れて捲くし立てる。
「何で前もって言ってくれないんですか!?」
「言う暇なんか無かっただろう?学生会も立て込んでいたし」
「そういう問題ですか!どうしよう、プレゼント・・・」
「あぁ、それなら気にするな」
「そういう訳にはいきません!」
「お前から貰うものは、もう決まっている」
「え?・・・・・っ」
何を、と聞く暇もなく。
頬に寄せられた手で上向かされたと同時に、柔らかな感触が口唇に落とされた。
「な、か・・・・・」
「・・・・喋るな。キスが出来ない」
「ん・・・・」
プレゼントって、これ?
俺のファーストキスは人参か、何かの景品か?
そんな事を思いながら、縋る指先に力を籠める。
息もつかせぬほど、次々に与えられる口づけ。
それはまるで、今までの分をも取り返すようなキスだった。
不安になる俺を見て、楽しむのはもう2度としないで。
俺が『中嶋さんのもの』だというのなら、不安に思う暇もないぐらい、愛して。
今までの分を取り戻すぐらい、キスしたらそう言って。
そうしたら、また。
いっぱい、貴方とキスしよう。