もうじき旦那さまの誕生日がやって来る。
何よりも…自分よりも大切な存在の大切な記念日なのだから心からお祝いしたい。
と思うものの、10年も一緒に過ごしてきて、クリスマス、バレンタイン、もちろん誕生日も含めたイベント以外にも、 折りにつけプレゼントをあれこれ贈ってきたせいで、もう本当に、何を用意すればいいのか皆目見当がつかない。


スーツや時計、家電や食器、果てはお取り寄せグルメまで、様々なものを贈りすぎてついにネタ切れだ。
何しろ旦那さまがああいう…一筋縄ではいかない人だから、いくら悩んでも正解などないに等しい。


せっかくの誕生日、こちらから何が欲しいか訊くのも惜しい気がして、仕事の合間を縫って部下やネットから情報収集しているものの、 今のところはかばかしい回答は産み出せていない。

誕生日リミットまであと一週間。
気持ちばかり焦る。


当日の食卓のメニューを家政婦の篠さんと相談し、ワインを選び、ケーキを注文し終えても、プレゼントだけが決まらない。
ああでもない、こうでもないと思い悩むうち、何かがきっかけでふと思い出した。
まだ、英明を『中嶋さん』と呼んでいた頃、今にしてみれば大人ぶった仮面の高校生だった英明の胸にはいつも、ドッグタグが下がっていた。

日本ではアクセサリーとしての印象が強いが、海外生活の長かった和希にしてみれば、それはやはり本来持つ意味合いのほうが色濃く、 あまりいい気持ちはしなかった。
本物により近いアーミー仕様で、ダブルのプレートのそれは、学園を卒業してから――いつの間にか英明の胸から姿を消した。

仮にそれを英明に贈っても、弁護士という職に就いた今では、些か違和感があるかもしれないが、身につけてくれなくても構わない。
もう一度、と思ったのは…。


もしかして大事な思い出の品だった?なんて可能性も考えないわけではなかったが、ネットで検索をして、英明が以前身につけていたものに近い、軍の レプリカを見つけた。
いざダブルのプレートに打刻してもらう文字を入力しようとして、はたと手が止まった。
名前の欄は問題ない。でも姓の欄は――英明は今は和希の籍に入っていて、『中嶋』じゃない。それがどうにもヘンな感じ。
自ら養子縁組を申し出て、英明はそれに同意してくれて、なのだから、それなのに、湧き上がってくるのは寂しさなんだろうか。




英明はどんな風に思って、和希の提案に頷いたのだろう。急に胸がざわざわと蠢き出す。
そして、深い心境にまで思い至らなかった己の不明を恥じた。







19日がやって来て、今日は土曜で和希は休日、英明も珍しく朝から家に居た。
篠さんが昨日のうちに腕を振るって準備してくれたメニューは夕飯用だから、ランチは遅めの朝食と兼用でどこか外へと持ちかけたが、英明は首を縦に振らなかった。
出掛けた帰りに、注文しておいたケーキを取りに行くつもりでいたから、少々当てが外れた思いで、


「――それじゃあお昼はどうしますか?何か食べたいもの…」


それなら買い出しに行けばいいのだし、と思い直したが、英明はそれも余り気乗りしない様子。別に不機嫌というわけではない。いつも通りに無表情なだけ。


「休みは休むものだ」
「はぁ」
「飯ならピザでも取れば済む」


せっかくの誕生日なのにピザって。子どものパーティじゃあるまいし。
そう思ったが口を噤んだ。何にしろ、今日の主役は旦那さまなのだから。


「あ、それじゃあデリバリーの中華にしませんか?味もそう悪くないって部下が以前」
「お前の好きにすればいい」
「………」


本当にどうでもいいらしい。誕生日だからって、特別なメニューを食べたいと言い出す英明のほうが奇妙と言われればそうだが。


携帯で店舗を探して悩んだ末、無難なセットメニューを注文することにした。
色々並べれば、少しは誕生日の食卓らしくなるかもと。

まず、今日が土曜だったのが痛かった。
平日なら和希が少し早めに退社してくれば、英明の帰宅時間に合わせて、テーブルセッティングだって完璧に出来ただろうに。


「――和希」
「はい?」
「今日はやけに落ち着きがないな」
「え」


朝刊をめくりながら一服。煙草だけはやっぱりずっと英明の一部だ。
にしてもこの呑気さ。今日が何の日かもしやご存じない? 言われてみれば、昔からそうだったような気もする…が。


「英明さん、今日は」
「あぁ」
「――」


仮に本当に気づいていないとするなら、何かの拍子に思い出してしまう前にと、


「…ちょっと待っててくださいね!」


ぱたぱたとスリッパを鳴らして自分の書斎へ駆けて行き、包みを持ってリビングへまた駆け戻った。
英明は我関せずという態度で、和希の行動には眼もくれない。一見昔と変わらないようだが。


ソファに座って新聞を繰るそんな英明の背後に回って、後ろ側からそれを差し出した。
悩みあぐねたプレゼントは、中身が中身なだけに、情けないくらい小さくて薄い。


「…なんだ?」
「さてなんでしょう?」
「………」


昔の英明なら、こんな真似をしても興味がなければとことん無視だった。現在いまの英明とは、そういうところが違う。
いくらこぢんまりしていても、一応それなりにプレゼントの体裁をした物体を差し出されて、英明もさすがに思い当たったらしい。
無言のまま包みを受け取り、暫し眺めた後、首を巡らせ背後の和希を振り返った。


「思い出せました?」
「ああ…」
「――Happybirthday 英明さん」


背もたれ越しに、肩の辺りに抱きついておめでとうを伝える。何度伝えてもその度緊張するし…幸せにもなれる。


「…めでたいかどうかは謎だが」
「なんですかそれ」


英明でも照れ臭いのかと破顔して、大切な人をもう一度抱きしめた。


「どうしたんだ今日は」
「え?」
「何か後ろ暗いことでもあるのか?」
「あ…りませんよ別に。誕生日にプレゼントを贈るのがそんなにヘンですか?」
「そっちじゃない」


英明の手が、自分の首の辺りに留まっていた和希の腕を捉えた。


「お前がこんな真似をするのは、おねだりかもしくは、やましいことがあるときだけだからな」
「そん…なこと、ありませんよ!」


慌てて腕を引き抜いて、ついいつもの癖で頬を掻く。そんな新妻を振り返った旦那さまは、それ見たことかとニヤニヤ笑いを薄い口唇に浮かべた。


「お前のそのわかりやすい誤魔化し方は相変わらずだ」
「あ」


しまった、って顔が逆にトドメとなって、


「素直に白状した方がお前の身のためだな」


一度は手離した和希の腕を追いかけて捉え、うそぶく。この点だけは譲れないとばかりに、昔のままだ。


「別に、やましいことも後ろめたいことも、おねだりでもないんですって。ただ、今回はそのプレゼントが…」


英明が手を掴んで離そうとしないので、そのままソファの脇をぐるりと回って旦那さまの隣に寄り添うように腰掛けた、が、それでは納得など到底してくれなかったようで、 和希の柳腰に腕を巻き付けると、強引に引き寄せた。
焦る必要などないのに、この10年であれやこれやを仕込まれた肢体はもはやパブロフ状態で、いつまでも初々しいそんな新妻の態度に含み笑いを隠さず、英明が揶揄い混じりの軽いキスを仕掛けてくる。


「――で、これ・・がどうしたって?」


鼻先すれすれの至近距離から、耳の脇で包みをひらひらさせて意地の悪い問い掛け。
いくつになっても、むしろ年数を経た分より魅惑的になった愛しい人を、こうして間近で見てやっぱりどぎまぎする自分がいる。
10年間ずっと。ちょっと病的なんじゃないのかって思うくらい、意識し続けている。


「…今年のプレゼントにはあまり…、自信がなくて」
「自信?そんなものが要るなどと初めて聞いた」


たかが誕生日のプレゼント如きで、と英明は苦笑する。


「そりゃあ大切な旦那さまへの贈り物なんですから――」


次第に言い訳じみてくる和希の言葉など、聞こえているのかいないのか、英明は包装紙を無造作に破くと中身を取り出した。
ちゃり、と金属音が響いて、英明の手に長いボールチェーンが巻かれて出てくる。
どうですか?と訊きたいのを我慢して、旦那さまの反応を待った。
端正の極みのような横顔。その視線は、じっと懐かしい2枚のプレートと、そこに刻まれた文字に注がれていた。


「――これでは、いざというとき役に立たないな」
「えっ?」


もちろん注文した和希は、打刻された文字をちゃんと把握している。
2枚のうち、名はどちらもローマ字で『英明』。姓は、一枚は『中嶋』でもう一枚を和希の姓にした。
2枚が同じでなければ意味をなさないと英明が言うのは、「本来の使用目的」のためなら確かにそうだった。
だがこの平和ボケした日本で、本来の目的を果たす日が来るとはとても思えない。


「どうしようか迷ったんですが…、英明さんがもう中嶋姓じゃないってどことなく違和感があって」
「名字ひとつで別人にでもなるかのような言い草だな」
「それは…やっぱりあるような気がします」
「――俺には理解できない感情だ」


決して茶化す口調ではなく、和希を否定するわけでもない。ちょんと啄む優しいキスがそう告げている。
英明はボールチェーンを首に掛け、両手で具合を直すと、再び律儀にその手を和希の腰に廻した。
さっきより更に密着度が増して、ほとんど隙間なくぴったりと。それどころか英明の膝の上に乗り上がりそうな勢いだ。


「昔を思い出しますね、そうしていると」
「確かに懐かしいな。……あの頃はまさか、お前の名字を名乗るようになるとは思いもしなかった」
「………」


しみじみと語る声に、すみませんなどと告げるのはきっと間違っている。
籍を入れたことにこだわりはなくても、特別なわだかまりがなくても、何かもっと、言葉に出来ない何かがそこにはある。


「――久々に中嶋さん、って呼んでみたくなりました」
「なんだ、急に懐古趣味にでもなったのか?」


どうした?と柔らかい声。英明はやはり変わった。根本的なところは同じでも、纏う空気が全然違う…。
笑って流すことしか出来ない和希を、きっとちゃんと理解っている。


「…というよりも、昔の中嶋さんから、今の貴方まで、ずぅっと…好きだってことを再認識した…ってところでしょうか」


英明は何も答えずに、ただ口唇に笑みを浮かべて、和希を見つめている。深い闇色の瞳。ずっと、あの頃からずっと、この眼に魅入られていたんだろう。


「――そうだな…だったら俺は、義父おやじとでも呼ばせてもらうか」
「は…え?」
「何か不満か?」
「不満って、そんなの」


戸籍上は確かに和希が養父で英明が養子で。だからって、いきなり何を。


「ああお前は、パパ、のほうがいいのか」
「だっ、…ちょ――英明さ…!」


完全に和希を膝の上に跨がらせ、するすると苦もなくシャツの裾から手を忍ばせてくる。


「や、あの、英明…っ! も…すぐ配達が、来…」
「無粋な父親だな、お前も」


まさか照れ隠し?なんて呑気な想像は多分邪魔なだけだろう。
親子ごっこ、という新たな愉しみを見出した英明は、誰にも止められない。


これが英明なりの気遣いだとか、英明なりの答えだとか…、それも今は、むしろ気づかないふりをしていたい。
背徳的な甘美さに酔う誕生日…?
その辺が妥当なところということで。









−了−







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