星の数ほど居る人間の中から、この人、という一人に巡り逢えたとして、相手が自分を好きになってくれる可能性はどれほどだろう。
それこそ奇跡と呼んで差し支えない。
巷に溢れる恋人同士や夫婦は、やっぱりどこかで妥協したってことになるんだろうか。


「…妥協っていうのかな、う〜ん…って和希、どうしたの、中嶋さんとケンカでもした?」
「え?いや、喧嘩なんかしてないよ?」


って言うわりに憂い顔のべっぴんさんな親友を眺め、啓太は苦笑した。
カフェオレを両の掌で包み込むようにしてアンニュイな様子が、晩秋のカフェの2階席から臨む景色によく馴染んで、絵葉書みたいだ。
相変わらず、自分のことには全く無頓着で。



久しぶりに都心に出てきたついでに、ランチでもどう?って、社長業が多忙すぎるくらいなのはわかっていたけどダメ元で連絡してみたら、 上手いこと都合がついたとかで、和希は待ち合わせの場所に少し遅れて現れた。
和希とこうやって会うのも、半年振りくらい?


「そうだよな、和希と中嶋さんはいつまでもラブラブだもんな」
「…そうか?フツーだろ?」


もう10年近く一緒に居て、あれだけずーーーっと変わらずに甘々なのも珍しいと思うんだけど、と啓太は肩を竦めた。


「――中嶋さんは元気?相変わらず?」
「うん、元気元気」
「仕事も忙しいんだろ?大変そうだもんな」
「うん…」


和希は急にしおれて、言葉を濁した。どうやら憔悴の原因はその辺り?
やっぱり和希はいくつになっても(実際の歳は知らないけどね)和希だ。ま、見た目に関しても全くと言っていいほど変わっていないか。


「何か…問題でもあった?中嶋さんの仕事」
「え?」


そこで顔を上げて、どうしてわかったんだ?って表情はおかしいよ和希…


「裁判のことで逆恨みされるとかって聞いたことあるけど…」
「…そういうんじゃないんだ。もちろんそれも気にはしてるけど。――実は事務所を変わるって話があって」
「弁護士事務所を?」
「うん。今一緒に働いてる先輩が独立するのに誘われてるんだって」
「へぇ…」


いい話なのか悪い話なのか、相槌を打つだけで啓太にはさっぱりピンと来ない。


「和希はそれに反対とか、なんだ?」
「そういうわけじゃないよ」


転職というとまず浮かぶのが収入問題だけど、それとは無縁そうだし。何せ和希はでっかい会社の社長だもん。うん、じゃあ他には…


「あ!その誘ってくれた人が、すんごい美人とか?」
「なんだよそれ」


和希は微笑って取り合わない。う〜ん、他に何も思い浮かばないんだけどなぁ。
中嶋さんが勝手に決めちゃって怒ってる、でもなさそう。あの人が我道を行くタイプなのは昔からだしね。


「えぇと…和希ゴメン、降参」
「降参?って何の話だ?啓太」
「え?いや、うん…」
「……実はさ、中嶋さんに前々からウチに来て欲しいってお願いしてたんだよ」


ウチ?
ウチって、和希と中嶋さんはすでに同居してるわけだし、家って意味じゃないとなると…啓太は脳ミソをフル回転させる。


「えーと、ウチって…和希の会社ってこと?」


なんだか段々、ランチタイムに旧友と久々の再会――って空気じゃなくなってきたな。


「もちろんある程度弁護士経験は必要だと思っていたから、今まではそれでよかったんだ。でも、ほら、いい機会だろ?」
「うん?」


ハァ、と和希は悩ましげな溜息を吐く。テラス席でなくてよかった。きっと路往く人が、悩殺されて次々に倒れたに違いない。
と啓太は結構大真面目に思った。


「和希ゴメン、話が全然…」
「え?あぁ、えっとインハウスローヤーとして…ウチの会社に弁護士として勤めてもらいたくて、結構前々から話はしてたんだ」
「…それって顧問弁護士とは違うのか?」
「うん、あくまでもウチの社員だし」
「社員ってことは、和希の部下ってこと?」


それは…何だかちょっと…中嶋さんとしてはアレかなと思う…。


若干テーブルの温度が下がってきたところで、和希の携帯がぶるぶるっと震え出した。


「あっ時間…大丈夫か?和希」
「う、うん、ゴメンそろそろ行かないと――また連絡する。今度家にも遊びに来てくれよ」


伝票をスマートに手にし、和希は颯爽と階下へ降りていった。全く押し付けがましくなく、こちらに払わせる隙も与えなかった。


「かっこいいなぁ…」


ふと窓の外の路地に眼を遣ると、黒塗りのピッカピカな車が音もなく停まり、白手袋が恭しく開けたドアに、和希の背中が吸い込まれていくのが見えた。
ちょっとばかり周囲にはそぐわない光景に、階下のお客さんも通行人も眼を奪われていた。
すごい人なのに和希…悩んでる姿とのギャップが大きすぎて戸惑わないではいられない。


その日の夜、和希からわざわざメールがあり、昼間はゴメンって謝罪と、是非今度家で一緒に夕飯でもと打診があり、 忙しいはずの和希の気配りと優しさに、素直に甘えることにした。




和希と中嶋さんの住まいは途中の階からマンションになっているビルの最上階で、ワンフロア全部が和希の家なんだそうだ。
初めて訪れたとき、事もなげにそう教えてくれたけれどいまひとつピンと来なかった。そして今でもピンと来ない。
だってリビングなんて、TVで紹介される部屋みたいにだだっ広くて、和希に訊いても何畳とか何平米とかよくわかってないらしい。
無頓着なあたりがまた…


「…お邪魔しまーす」


何度来ても気後れするくらい磨き上げられた廊下を、出迎えてくれた和希の後ろについて進む。


「英明は仕事で留守なんだけど、啓太が来るから早く帰って来るようにって伝えておいたから」
「あ、うん」


ちっとも変わってない和希が昔と唯一違うのは、ごく自然に中嶋さんを名前で呼ぶところ。
手土産のケーキを一緒に食べながら、この10年近くの歳月を思う。
実際不思議でしょうがない。ずーっとずーっと、ふたりが仲良く今日まで一緒に過ごしてきたことが。
確かに、啓太が知る頃の中嶋さんは、すでに和希にターゲットロックオン状態だったけれど、 王様や他の人から聞かされる副会長はとんでもない遊び人で、啓太のようなお子様には想像もつかないような店に出入りし、 男でも女でも食い散らかして――そんな途方もない人物像だった。


真実はさておくとして、それが今では…つまり和希がそれだけすごい存在ってことなんだろうな。


「それで和希、この前の話…」
「ん?」
「中嶋さんの仕事の…」


「ああ!」と破顔するものだから、てっきり上手いこといったのかと思ったのに、


「ダメだったよ。今はうちに行く気はないって」
「そうなんだ。残念…だったな」


ひとまず同意するくらいしか、啓太には出来ることがない。それが口惜しい。


「でもさ、養子縁組のほうだけ承諾してもらったんだ」
「え?養子?」


聞いてないよそんな話。


「それってさ、和希…」
「うん、役員待遇でウチに来てもらうのにそのほうが都合がいいだろ?」
「そ、そうなんだ」


そうなのか?和希が言うなら…そうなのかなぁ…どうなんだろ。


「人間、いつ何があるかわかんないし。英明になら全部安心して任せていけるから」
「和希…」


そんなことまで考えてたんだ。もちろん誰にだって明日が自動的にやって来るなんて信じるのは傲慢だとは思う。


「えと、それで養子の話…を?」
「うん、きっと断られるだろうって覚悟してたけど」


一般的に言って、同性カップルの養子縁組は結婚の意味、だよな…? 啓太は大いに首を捻った。
もちろん和希はそんなこと重々承知…だと思う…んだけど…何だか一抹の不安を感じるのはどうしてだろう。


「…中嶋さんは、その…何て?」
「専門家だし、書類に関しては任せちゃったんだけど…ホントにいいんですかって訊いたら怒られたよ。するのかしないのかどっちだって」
「そ、そうなんだ…」


中嶋さんのそれはほとんどプロポーズだろ、と訊きたいけど言いたいけど問い質したいけど〜〜〜っ!
啓太が、第三者が伝えるべきことじゃない、おそらくきっと。


それから間もなく、噂の中嶋さんがご帰宅。出迎えに向かう和希のスリッパの音さえ弾んでいて、本当に新婚さんみたいだ。


「――お久しぶりです、中嶋さん。お邪魔してます」
「ああ、お前も元気そうだな。変わりはないか」
「はいっ」


和希を従えてリビングに現れた旦那様に、立ち上がって頭を下げた。中嶋さんは、少し声が柔らかくなった気がする。
でも、髪をややサイドに撫で付けるようにして、スーツにネクタイ、あの頃よりかっこよさは更にパワーアップしている。


和希はすぐに、中嶋さんのお茶の支度をしにキッチンへと向かって行ってしまい、何せ広すぎるLDKだから、その姿はすごく遠くに見える。


「そっちはどうだ。西園寺は相変わらずか」
「はい、おかげ様で息災です」
「ふっ…すっかり二代目の犬の座が馴染んだようだな」


そこはやはりお約束の皮肉に、啓太も昔を懐かしんで微笑い返した。


「いえまだ、七条さんには全然敵いませんよ。あ――そうだ、和希に聞いたんですけど」


ちらとキッチンに眼を遣り声を潜めた。


「入籍を…?」
「ああ」
「おめでとうございます。でもあの…中嶋さん、和希はもしかして」


気づいてませんよね?って無言の問いに、中嶋さんも無言の視線で以って同意する。
あー余計なことを言わなくて良かった、と胸を撫で下ろしたところに、中嶋さんが畳み掛けた。


「そのうち指輪でも買って驚かせてやるつもりだ」
「………」


今の!聞いた?あの天下無双の副会長が、骨抜きになってる!!って、それこそ西園寺さんや、今は遠く外国暮らしの七条さんに教えたい!言いふらしたい!!


ホントにつくづく和希の存在は大きいんだなって再確認…出来た。
和希、それって奇跡ってやっぱり今でも言う?


「なに?啓太、どうかしたのか?」
「ううん、なんでもないよ」


お茶のおかわりを携えて和希が戻ってきた。
なんでもないけど、今度来るときにはちゃんとお祝いするからな。

約束。





−了−





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