「――今戻った」
「あ、英明さん、お帰りなさ…」


いつもより早めに帰宅していた新妻和希が、いそいそと玄関へ出迎えに向かうと、
大事な旦那さまの横にもうひとり、英明より背の高いがっしりした人物が添え物のようにのっそりと立っていた。


「おぅ!遠藤、久しぶりだな」


親しげな挨拶と、ひょいと片手を挙げる仕種で、記憶が10年前に一気に遡る。


「――王様…?」
「ははっ、そう呼ばれんの何年ぶりだろーな」


がしがしと頭を掻く癖も、笑顔も、何もかも変わらない。懐かしい、が似つかわしくないくらいに。


「お久しぶりです!いつ日本に?」
「あ?あ〜っと…」


ちら、と隣の英明を見て丹羽が口籠った途端、


「――和希、今すぐ塩を撒いてコレを追い出せ」
「え?」
「丹羽は、この10年で図々しさに磨きを掛けたらしい」


言い置くと、英明はさっさと独りで奥へと引っ込む。あの、話が見えないんですけど…


「…えーと王様?」
「いや、あのな?さっき成田に着いたとこでさ、えーっと、まぁなんだ、一晩泊めてくんねぇかなーって」
「なんだ!そんなことでしたら、ウチは全然構いませんよ」
「あ、寝袋あるし、玄関でいいからよ」
「やめてくださいよ。三畳一間のアパートじゃあるまいし」


止めないと本気で実行しかねない丹羽を促し、中へと上げた。


「――悪ィな、ヒデのヤツ怒ってっだろ」
「いいですよ、ここは俺の家でもあるんですから」


丹羽はちょっとヘンな顔をして、和希の後ろをついてくる。


「それならお食事もまだなんじゃないですか?今日はカレーなんですよ、丁度よかった」
「カレー? へぇ…」
「なんですか?」
「意外に庶民的なモン食ってんだな」
「はい?それってどういう…」


遠慮は玄関先までで、すっかりくつろぎモードの王様…もとい丹羽は、荷物をリビングの隅に降ろすと、どっかとソファに腰を落ち着けた。


「どうだー?…その、いろいろ」


変わりはないかと問う。


「こっちは相変わらずですよ。王様…って呼ぶのもヘンですね。じゃあ――丹羽先輩?
 今回はどちらまで行かれてたんですか?」


大らかな態度も呑気な調子も、全く変わっていない様子だが、見た目は大いに様変わりして、
無精ヒゲに髪は伸ばし放題。よれたTシャツ。一歩間違えると浮浪者だ。


「まぁあっちこっちな」


うーんと伸びをし、急ぎ淹れた熱いお茶に舌を出している丹羽は、大学三年の秋、何の相談もなく突然退学届けを出して海外へと跳んだ。 曰く『就職活動に嫌気が差した』そうだが、以来『バックパッカーとボランティアの中間』を自認して、あちらこちらへ自由に飛び回る暮らしを謳歌している。


「――んで、ヒデとはどうなんだー?うまいことやってんのか」
「特に変わりはありませんけど…?」
「ならいいんだけどよ。やっぱヒデの野郎のこっだし、もしかして…と思ってな。俺にもまだチャン…――てェッ!」
「あ」
「貴様はわざわざ、他人のものに手を出すために帰国したのか。馬鹿はいい加減卒業しろ、丹羽」


着替えを済ませた英明がぬっと現れ、遠慮なく丹羽の頭をはたいた。
さながら10年前に戻ったかのような画が、また眼の前で見られるなんて本当に思いもしなかった。


「ってェなヒデ!」
「煩い。とっとと風呂に入って来い。ウチに異臭を撒き散らすな」


英明の指摘に、丹羽はくんくんと我が身の匂いを嗅いでみてから、ちらりと和希に確認を求めた。


「匂うか?」
「え?えーと…」


実際匂うかどうかより、匂いそうな風貌ではある…かな。


「んじゃひとっ風呂浴びてくっか!悪ぃな」
「あ、タオルとか適当に使ってくださいねー?」
「おぅ!」


ひらひらと手を振りバスルームへ向かう丹羽の背中を、英明が鋭く睨みつけているのが何となく気に掛かったが、
久しぶりで戸惑っているのかも、なんて呑気に受け流していた。





風呂上りでヒゲも剃り、別人に見間違えるほど随分とさっぱりした丹羽と、三人で食卓を囲む。


「おッ!うめーなこのカレー。お前が作ったのか?」
「あ、それは家政婦の篠さんが」
「篠さん。なんか誰か思い出しそうな名前だな」


独りで豪快に笑う丹羽の斜向かいでは、眉間の皺を隠そうともせず、英明が思いっきり不機嫌そうに、無言でカレーを口に運んでいる。


「ヒデ、なんだ?腹でも痛ェのかよ」
「…お前の顔を見ていると、飯が不味くなるだけだ」
「ほーぉ、んなもん和希のツラでも拝んでりゃなんでも旨いだろ」


…なんだろう、この剣呑な空気。まさかビール1杯で絡み酒でもないだろうに。


「他人のものを軽々しく呼び捨てにするな」
「なんだ名前くらいで。小せぇ男だな」
「邪な理由で帰国した人間が、デカイ口を叩くな」


「――ちょっふたり共!どうしたんですか一体…」


止めないと、ともちろん本気で思ったものの、余計な口を差し挟ませないような雰囲気に躊躇ってしまう。
十年の時を遡って、会長と副会長は確かにいつもこんな風だった。
案外王様は、英明とやり合いたくて戻ってきたのかも、なんて。
疎外感を感じるくらい仲がいい、なんて言ったらきっと怒られるだけだろうな。





翌朝、まだ早朝のうちに丹羽は発って行った。


「――もう少しゆっくりしていってくれればいいんですよ?ウチは全然…英明さんだって、別に本気で言ってるわけじゃないと思いますし」
「あぁ、またそのうちゆっくり顔見に来っから。しばらくは日本にいる予定だし。とりあえずいっぺん実家帰らねぇとな」
「…竜也さんも随分心配なさって――」
「だーッ!あんなウンコジジイの話はやめてくれ」


大袈裟に手を顔の前で振って見せ、丹羽は利かん気の18歳に戻る。


「相変わらずですね、竜也さんだってもうそろそろ定年間近でしょう?いい加減安心させてあげないと」
「ケッ!あんなの殺したってくたばらねぇよ」


ガシガシと頭を掻いて悪態を吐く。やっぱりあの頃のように。


「――そうだ、忘れるとこだった。コレな…」
「はい、なんですか?」


背中のカバンから、ガサゴソと何かを取り出し、


「籍入れたって連絡貰ったけど、なんも出来なかったんで、一応…祝いのつもりな」
「王様…ありがとうございます」
「それと、――こっちはヒデのヤローに渡しといてくれ」
「はい。確かに」


如何にも世界各国を一緒に旅してきたよれ具合の紙袋と、もうひとつは、まだ比較的新しく見える小さな包みをしっかりと受け取ると、


「じゃあな、またそのうち。身体に気をつけろよ、お前もそう若くねぇんだから」


丹羽は、日焼けした肌にやたらと際立つ白い歯をにぱっと覗かせた。


「ひと言余計です…王様もお元気で。ちゃんと生きて顔見せてくださいね?」
「おぅ!任せとけ! ヒデにもヨロシク言っといてくれよな」
「はい」


名残惜しそうに、まだ薄暗い廊下の奥へと眼を遣る。仲違いもふたりにはやっぱり友情再確認なのかもしれない。
のワリに…相方は姿を見せていないけれど。


「んじゃ…」と両手を広げて、王様は自然に別れのハグを求めてくる。
若い頃の丹羽は朴直で、こんなキャラでもなかった筈で、和希がちょっとばかり躊躇っているうちに、


「――お前はどこまでも図々しい男だな、全く」
「あっ…」
「たかが挨拶だろ、ケチくせぇ」


廊下の奥から聞こえてきた旦那様の声が明らかに不機嫌そうなのは、寝起きだからって訳じゃなさそうなのが…
別に後ろ暗いことなど一切ないのに、背中にイヤな汗が滲んでくる気がした。


「1秒以内なら挨拶と見なしてやる」
「くっ…ヒデのヤツ、昔より俺様度上がってねぇか?お前も苦労すんなぁ」
「いえ、そんな…」
「ヒデに苛められたら連絡しろよ、すぐ飛んできてやっからな!」


答えに窮する間に、王様は三度目の正直でじゃあなと手を挙げ、相変わらず廊下の奥まったところで立ち止まっている英明の眼を盗んで…
なのか、これ見よがしなのか――素早く和希の頬に口唇を寄せ、すぐさま踵を返し、脱兎の如く玄関を出て行った。
わ…っと思わずそこに手を遣り、次の瞬間、悪寒が脊髄をさーっと駆け抜けていく。


「………」


大股でずんずんと玄関先までやって来て、でも何も言わずに、英明はじっとこちらを、特にその一点をただ凝視している。
おそらく気づかれた…よな…?


「な、何だか王様、キャラ変わりましたよね!外国生活が長いとああなるんでしょうか」


乾いた笑いを見せたが、英明はにこりともしない。


「あ、そうだコレ…英明さんにって。こっちは俺たちふたりにと」


仏頂面は、ひょいとまず個人宛の包みを受け取り、乱暴に包装紙を破いた。


「なんでした? ――わ、綺麗ですね…これ」


小ぶりの蒼いワインボトルに白い模様が刻まれている。エッチング加工が施されているらしい。
手元を覗き込むと、カリグラフィーデザインに数字が彫られているのが見えた。


「1119…?西暦、でしょうか?何かの暗号とか…」
「――くだらない」


はッ!と吐き棄て、包みごとこちらへぐいと押し遣った英明には、その意味がちゃんと理解っているかのようだ。


「やっぱり英明さんには…あッ!」


言いかけた和希にも、急に閃くものがあった。


「もしかして11月19日――英明さんの誕…」


最後まで語らせず、暴君…もとい背の君は、矢庭に和希の腕を引いた。


「――ッ…!」


都合のよろしくない場合、の常套手段。でも昔とは違うから、勢いに飲まれたりはしない。


「そうだきっと、王様は英明さんの誕生日のために帰国したのかもしれませんね」


聞こえよがしに呟いてみたが、呆れたため息で聞き流された。


「だってそうとし……ッ!」


ぐいぐい先へ進んでいた背中が急に立ち止まり、いきなり振り向くものだから、危うく舌を噛むところだった。


「――丹羽の馬鹿はどうでもいいが、お前が馬鹿菌に感染するのを見過ごすわけにもいかない」
「はぁ…」
「来い。まずは消毒だ」
「っと待っ…!」


叫びも虚しく、その足でバスルームへ連れ込まれると、後はまるで昔に戻ったかのような定番コースだった。
何をそんなに苛立っているのか知らないが、王様の影響力って半端ない…。




「台風みたいな人ですよね…」


ぐったりと英明に身を預けて本気で呟くと、旦那様の眉間に、また更に深々と皺が刻まれた。


「むしろハリケーンだろう。油断していると、お前ごと持っていかれる」
「え…?」


その言葉の真意を問う余裕は、残念ながらこれっぽっちも残ってはいなかった。





−了−





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