五月に入ってからの和希は、国内に居る日の方が少ないのではと言うくらいで、 海外投資家への挨拶回りだとか、そんな風に本人は語っていたが、 日本に居ないという事実には何ら変わりがない。 理事長職を退いて本社勤務になった和希は、次期社長としての職務で実に多忙だった。 「――それで?来月はどうなんだ」 『どうって?』 「お前の誕生日があるだろう」 『…ああ、さすがにそれまでには帰国…――えっ?』 「なんだ」 『なんだ、ってその…俺の誕生日なんて…』 「無視すると、後で散々文句を言われるからな」 時差のせいで眠そうだった和希は俄かに覚醒したようで、海の向こうから声にならない非難が受話口を通して聞こえてくる。 『英明…、何か企んで、る…?』 「そうだな、盛大な誕生日パーティでも企画するか?お前のご期待に添えるような」 『ちょ…悪い予感しかしないからそれ』 「せいぜい楽しみにしていろ。それから欲しいものがあればメールしろ」 『――うん…わかった』 電話の向こうでは明らかに本気にしていない様子で、和希が苦笑している。 疑ってかかるのも無理はない。和希と知り合って数年が過ぎたが、初めの頃はまず誕生日すら知らなかった。 女じゃあるまいし、17、8の男が他人の誕生日などに興味を持つはずもない――伊藤は例外だったようだが――、 予想を覆して長い付き合いになったけれど、おめでとうなどと口にしたことはないし、何かを贈った覚えもない。 和希が混乱するのも無理からぬことだった。 六月に入ってすぐ、ようやく帰国した和希を迎えに空港まで出向いた。 本来なら英明などが運転する車には乗らないし、乗せないのが会社としての不文律だろうが、出張に同行していた古参の秘書は快くそれを了承し、 「和希様をよろしくお願い致します」と頭を下げて、ふたりの乗った車が見えなくなるまで見送っていた。 「――で、何か欲しいものは決まったか」 「え?いきなりその話?」 「考えておけと言ったはずだが」 「そうだけど…」 助手席に収まった和希は何処か不満げに、英明を見遣る。 「いつも俺の誕生日なんて気にしたことないのに、今年に限ってどうしてって思うから」 「胡散臭いか」 「うん」 きっぱりと言い切られて、前を向いたままの英明も微苦笑した。 「酷い言われ様だな」 「英明が誰かに贈り物をするなんて時点で、まず俺の想像の範疇を超えているし…それに、」 「それに?」 「――怒るなよ? …急に優しい態度に出られると、何か後ろ暗いことでもあるのかなとか」 「後ろ暗い、か…浮気でも疑ったか?」 「英明がモテるのは今更な事実だし、周りがほっとかないのはよくわかってるからそれはいいんだけど…もっと他に…」 不意に運転席から眼を逸らして、和希は在らぬ方向を眺めた。 高速から見える景色など、何処も変わり映えしないだろうに。 「さっきから妙に勿体ぶっているようだな」 「それはだって、英明がいつもしないようなことを言い出すから心配に…なって…」 「それはもう理解った。――で、欲しいものは決まったのか」 「…え、っと、まだ…」 「家に着くまでに考えておけ。それと、今日の夕飯のメニューもだ」 「ええっ?」 素っ頓狂な声は一切無視して、運転に集中し直す。隣の男は文句を言いたそうにこちらを見たが、すぐに長考モードに入ったようだ。 空港から都心まで1時間と少し、その間和希はあまり口を開かず、それで英明も沈黙に付き合っていたのだったが、 都内の渋滞にハマる頃に和希がポツリと呟き始めた。 「………もしかして父が、英明に何か…、言ったのかもしれないって不安だったんだ」 「何かとは何だ」 「………」 和希はまた黙って、外の景色を見ている。 「鈴菱の社長が直々に下々の人間に何の用だ」 「…さすがにもう黙ってはいられなくて。――父はすでに知っていたようだったけれど」 「……そうか」 英明との関係を、――もしかしたら詰問されての上でかもしれない――打ち明けたということか。 自分の跡取りがいつまでも独身でいるのは世間的にも、おそらく和希の住む世界では可笑しなことなのだろうから。 すでに知っていたというのはきっと、これも推測でしかないが、調べさせた、というのが相応なところか。 「――それでお前は、父親に別れてくれと頼まれた俺が、最後にお前の誕生日を祝おうとしたとでも考えたのか。…全くお前の頭はいつも昭和の昼メロレベルだな」 「そ…、何それ、これでも俺は真剣に」 「分かったから。――ほら、もう着くぞ。タイムリミットだ、答えは出たのか?」 「…出なかったらお仕置き?」 「それも悪くないな」 和希が自嘲気味に笑う。どこかしらすでにふっ切れているようにも見える。 駐車場に車を停め、荷物と共に上へと向かった。 鈴菱の所有する高層ビルは、上階がマンションになっていて、最上階ワンフロアが和希の部屋だった。 さっきの会話のせいでか、無口になっている和希を促して玄関を開け、中へと一歩。 「――どうした?早く入って休め。疲れただろう」 「うん…」 「1ヶ月ぶりの我が家だろう。おかえり、和希」 「えっ…」 「なんだ?妙な顔をして」 何気ない言葉に和希がぱっと顔を上げ、英明を見つめる。 「今…」 「うん?」 「今の、もう一回…言って…」 「どの話だ」 「おかえりって」 あまりに真剣な表情で訴えるものだから、英明もいつもの調子で返すのを忘れた。 「――…おかえり?」 「うん…」 和希は手荷物を床に投げ出すと、眼の前の英明の腰に両腕を回して、ぎゅうっと抱きついてくる。 煙草臭いシャツに額を預けて、安堵のため息を漏らした。 「…誕生日プレゼントはもうこれで十分…かな」 「いきなり安っぽい男に成り下がったな。第一、さっき成田でも言ったはずだが?」 「…そうだっけ」 微苦笑と共に和希の肢体から力が抜けていくのがわかる。どれだけ真剣に不要な妄想を巡らせていたのか、全く呆れる。 「本当は…、本当に……、英明しかいらないって言えたらいいのにって…」 長い間を置いて届いた呟きは本音に違いなかった。 英明に身を委ねてじっと動かないでいる和希を抱き寄せてみる。 「…とりあえず風呂に入って少し眠るといい。夕飯はどうする、食べたいものは決まったのか?」 「ん…、ん〜…あっさりしたもの…?」 「漠然とし過ぎだな」 今はまだ、抱え込んでも詮無いことだから、とそんな思いで提案する。 和希にはそれで伝わったらしい。また少し、声の調子が変わった気がした。 「――それより英明…」 「うん?」 「父のことが関係ないならどうして…こんな風にその、優しい…のかなって…」 「……そうだな、お前の願望通りで構わない」 「え…」 1ヶ月ぶりの口唇を味わって、それ以上の追及を留めた。 理由なんてあるようでない。意味など必要ない。 手の届く範囲にお前がいるということ以上に、重要なものなどないなんて、お前は知らずにいてくれればいい。 -了- 【和誕2015】 Copyright(c) monjirou +Nakakazu lovelove promotion committee+ |