丹羽の提案で、転校生の伊藤には学生会の手伝いをさせることにした。
学園を案内すると言う大義名分を掲げて、伊藤を伴い脱走することも儘あったが、まともに学生会室に丹羽が現れるようになっただけでも以前に比べれば格段の進歩だ。


「――伊藤様々だな」


聞こえよがしに英明が呟くと、丹羽は頭を掻いて誤魔化し、伊藤はちょっと照れ臭そうに笑う。
伊藤は当初、どうやら英明を怖がっていたらしい。…無理もない。




半月程は、何事もなく過ぎた。
伊藤もすっかり学生会の仕事に慣れてきて、戦力とはいかないまでもそれなりに役目をこなせるようになった。
和希も時々現れて、そんな伊藤の様子を眺めていく。
まるで保護者だなと英明がこっそり揶揄すると、奴は否定もせずに微苦笑で軽く往なすだけだ。

実際のところ、和希と伊藤の関係は未だに不明だが、あえて訊こうとはしなかった。
伊藤は、和希の正体さえ知らないようだし、問い質すだけ無駄だろう。
和希は…あの男は訊いても答えないだろうという確信があった。
性格を全把握していると言うほど長い付き合いでもなく、近しい間柄でもないのだが、そういうことだけはよく理解しているつもりだ。




「…お前は伊藤より我が身の心配をした方がいいんじゃないのか」
「それは心配してくれていると受け取っていいのかな」
「………」
「ああゴメン、茶化すつもりはないんだけど」


和希はそれが癖なのか、指先で頬をかりこりと掻いて微妙に眼を逸らした。
この男の立場や周囲の環境に関してはそれなりに知識として飲み込んでいる。
つい軽口で受け流すのにはそういった――面倒な理由があるのだろう。


「あー…ほら英明って初めからクールな子だったから、意外だなって――…、ごめん、何言ってるんだかわからなくなってきた」
「あたふたするお前の方が余程珍しいんじゃないか?」


英明が微笑うと、和希はほっとしたようだった。
出会った頃から、そつのない大人、だった和希と、生意気な子どもだった英明。歳を取っても関係性は今もほとんど変わらない。
少なくとも和希の方はそういう認識でいるらしい。
取り乱した場面を見られて困惑するのは、つまりはそういうことなのだろう。





その後も特に理事長の懸念したような事態は起こらず、学園島も梅雨の季節を迎えた。
丹羽がやたらと伊藤を構うようになり、伊藤も懐いてきたようで、こちらの心配はほぼなくなったと言っていい。
何しろ登下校も昼休みにもべったり一緒に過ごしている。
学園で一、二を争う有名人の丹羽が傍に居れば、否応なく伊藤も顔が売れていく。
丹羽がそこまで考慮していたかどうかは不明だが、常に他人の眼があれば、和希が案じる『悪意を持った相手』もそう愚かな真似はしないだろう。


一方で和希は相変わらず危機感が薄く、英明の苦言にも耳を貸さない。
伊藤が狙われる理由と和希の身の危険は近いものだろうと踏んでいるが、和希自身が認めないのだから何を言ったところで同じだった。


じめじめと蒸し暑い雨の夜、英明が外にいたのは単なる偶然で、久々に島の外へ飲みに出ての帰り道。
門限はとっくに過ぎている。
無論外出届は提出しておいたが、今寮に戻ると篠宮が色々とうるさそうだ。
酒と煙草の匂いが消えるまで、しばらく時間を潰す方が賢明だろう。


そう考えて、橋の袂から学園の敷地方向に向かった。
そこを過ぎて更に奥へ進めばサーバー棟だ。和希はもしかするとまだ仕事中かもしれない。
仮にそうなら、またひとつ揶揄うネタが出来ると思い歩き始めると、耳障りなダミ声が煉瓦の歩道の奥から聞こえてきた。

『――お前が一年の遠藤和希か』

返答は聞こえない。路面を叩く雨音に掻き消されたのか、端から返事などなかったのか。
ダミ声の他にも、誰か数人いるらしい。途切れ途切れに口汚い言葉が雨音に混じって英明の元まで届く。

足を速めて現場へと向かった。嫌な予感は往々にして当たるものだ。皮肉なことに。


案の定だった。英明から見て奥に傘を差した和希がいる。制服姿だ。
手前に学園の生徒らしいのが三人。図体ばかりデカい。運動部の人間だろう。
先にこちらに気づいたのは無論和希だった。英明の姿を認めると、表情を変えずに「面倒を起こすな」と眼で訴えてくる。
面倒を起こしているのはこいつらだろうが。


「…何をしている。消灯時間はとっくに過ぎたぞ」


抑えた英明の低音に、それまで全く存在に気づいていなかったらしいそいつらが慌てて揃って振り返った。
「なんだぁ――げ、副会長…っ!?」とひとりが泡を飛ばして叫ぶ。「まずいんじゃねぇ?」ともうひとりが身構えつつ後退る。


「何をしているんだと訊いている。聞こえなかったのか」












【和希おめでとう'13】
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