そろそろ衣替えの時節だが、待ち切れずにジャケットを脱ぎ捨て、シャツも腕まくりで、 恰好だけは如何にも気合の入った丹羽学生会会長は、書類の山を前に、ぐったりと溶けていた。 「このクソ暑ィのに、仕事なんかやってられっかよー! なぁヒデ?」 「………」 完全無視を決め込んだ副会長は、会長とは対照的にきっちりと一点の乱れもなく制服を着込み、PCに向かっている。 「どーせ『お前は暑かろうが寒かろうが仕事をしない』とか思ってんだろー」 「理解っているなら訊くな。エネルギーの無駄だ」 「わかってたって言いたくもなるっつーの。あ、そうだ、今日はあいつは来ねぇのか?」 「…今日は休みだと聞いている。他力など当てにせずにさっさと仕事に励め。今日中に帰りたかったらな」 「んだよ、肝心なときにいねぇよなーったく」 英明の額に青筋が浮き始めたことを知ってか知らずか、丹羽の口は留まる気配もない。 「――遠藤もなぁ、学生やって理事長やってって、物好きだよなー ま、そんなのと付き合ってるお前も大概同類だけどよ」 英明が冷ややかな眼つきで、丹羽を睨みつけた。が、やはり丹羽は意に介さない。 「だってよー相手に不自由したことねぇお前がだぜ?あんな面倒臭そうなのとよく付き合ってんなーって。感心してんだよ」 「…お前も言うようになったじゃないか、哲也。色恋の機微など遠い星の話だっただろう。成程、伊藤の存在は偉大だな」 「あぁ? んなの俺じゃなくても、昔のお前を知ってる人間は大抵同じこと言うと思うぜ」 丹羽の言うのももっともだったが、あまり素直に認めたくもない。 口を噤んで、片付かない仕事に再度取り掛かろうとしたとき、学生会室の扉がノックと共に開いた。 「――失礼します。遅くなりました!」 まさに噂をすれば――だ。今日は仕事優先で、学生会の手伝いには行けそうもないと言っていた和希が、息を切らせてそこに立っている。 慌てて戻ってきたのだろう。もう若くはないのだから、無理をするなと釘を刺しておかなければなるまい――英明はすっと席を立ち、 「帰るぞ、遠藤」 「は…え?」 「今日は丹羽が、独りで仕事を片付けたいそうだ」 「え、ヒデ、おまっ!」 焦る丹羽を尻目に、英明はドアの前でぼけっと、まだ事態を飲み込めていない和希の元へ向かい、 「行くぞ」 「あ、えと…」 「たまにはゆっくりしろと、会長からの心遣いだ。遠慮しなくていい」 「はぁ…」 待てよと叫びかけた丹羽会長は、ちらりと振り返った英明の横顔に、秘めた怒りのオーラを察し、引き留めるのをやめた。 ふたりが見えなくなってから、がしがしと頭を掻き失言を悔やんだが、後の祭りだ。 寮へ戻る道すがらにも、和希は丹羽を気にして幾度も、大丈夫でしょうかと繰り返した。 和希が不安に思うのも確かだ。あの男が、監視もなしに仕事をマトモにこなす訳がない。 「…たまにはいい薬だ。今更一日遅れたところで変わりはない…――それとも、そっちへ回す急ぎの書類でもあったか」 「いえ、それはないはずですが」 「ないならなんだ」 「…気のせいならいいんですが、さっき何か…揉めていたようなので」 若干上目遣いに英明を眺め、和希は小首を傾げるいつものポーズ。頬を掻くのだけ足りなかった。 「ああ、大したことじゃない」 知られても問題はないが、面倒ではある。和希の背中を軽く叩いて促し、話を終わらせた。 寮に戻っても三年のフロアには向かわず、当然の顔で英明が隣をついてくるのに、 和希は僅かに「あれ?」という素振りを見せたが、何も問わない。 部屋に入る際にも、鍵を開け内に入った和希が扉を支えて英明を招き入れる意思表示を見せるから、 滑り込んでドアが閉まると同時に、互いの身体を入れ替え、和希を扉との間に封じ込めると、有無を言わさず口唇を奪った。 「…ちょっ、なんですかいきなりっ!」 ひとしきり味わい尽くして肢体が離れると、和希は激しい剣幕で英明を睨みつける。 「なんだ、いちいち予告して欲しいのか」 「誰もそんなこと言っ――…」 再び今度は顔の向きを変え、細い顎をやや上向きに持ち上げて、より深く穿つ。 「――ん……っ」 ゴッと鈍い音が和希の背後から聞こえた。 どうやら上体を反らし過ぎて後頭部をドアにぶつけたらしい――即座に腰と頭に腕を回し、強く抱き寄せる。 日頃やりつけない英明の行動に、和希の背中が一瞬強張るのが伝わってきた。 「…どうしたんですか…?」 「――どうもしない」 どうもしないが――突如として湧きあがる疑問。 どうしてこの男はここに居るんだろう。学園に、寮に。英明の、腕の中に。 お前は、本来ここに居るべきではない存在… 【和希おめでとう'10】 Copyright(c)2010 monjirou +Nakakazu lovelove promotion committee+ |