「遠藤君、遠藤君」 廊下で不意に呼び止められた。 珍しく日曜に寮に居て、少しばかり時間を持て余していたのを見計らったようなタイミングだった。 仕事は休日に持ち込まない主義。学生としての課題はさっき終えたところ。 啓太が部屋に居るかなって思ったけれど、残念ながら外出中。友達とでも出掛けたかなって。 「――七条さん、何か?」 「おや、つれないお返事ですね。あの冷血漢にすっかり毒されたんじゃありませんか?」 「………」 アルカイックと言えば聞こえはいいが、胡散臭い笑顔は相変わらず健在のようだ。 「今から郁の部屋でお茶会をするんです。ご一緒に如何ですか?」 「あーいや、俺は…」 「あの人に遠慮なんてなしですよ。向こうは好き勝手なことをやっているんですから」 「はぁ…」 そう言われると断りづらいのは何故だろう…。 「今日は、とっておきのケーキがあるんですよ、せっかくですから」 …甘いもの好きに悪い人はいないというのは、やっぱり迷信なんだろうな…と無礼極まりないことを思いつつ、 連れ立って女王様の居城へと向かった。 「――どうぞ」 いつものこだわりの紅茶と共に供されたのは、シンプルなロールケーキ。 ぼってりと巻かれた白のクリーム以外に、飾るものは一切ない。 「これは、幸せを呼ぶロールケーキなんですよ」 「はい?」 「えぇ、これを食べた方が告白されたり結婚を申し込まれたり、主に恋愛絡みの。 それを聞いて取り寄せたんです。これは是非遠藤君に食べてもらいたいと」 うっわ…都市伝説より性質が悪い。フォークを眼の前に、口にするのを一瞬躊躇った。 美貌の部屋の主は慣れたもので、無言+無表情でお茶を愉しんでいる。 「いかがですか?」 「あ、美味しいです。食感が…ちょっと違いますね」 「米粉を使用しているんだそうですよ」 「へぇ…」 食べ物に罪はない、ということか。もっちりした歯ごたえが、普段食べ慣れたケーキと違ってなかなかだった。 そっちを先に教えてくれれば、ヘンな先入観を持たずに済んだものを。 「遠藤君にも幸せが訪れるといいですね。非人道的なあの方と別れられる、とか」 「………」 結局そこなんだ、辿りつくのは。 そんなこんなで小一時間ほどをお茶会に費やし、自室に戻ったのは確か午後の4時過ぎだった。 ベッドの側面に背中を預けて考えごとをしているうち、どうやら眠り込んでいたらしい。 机の上の携帯に叩き起こされた頃には、すでに室内は闇に落ちていた。 LEDの点滅だけを頼りにまず携帯に手を伸ばすと、操作自体は造作もなく出来る。 同時に部屋の照明を付け… 『――俺だ。今何処に居る』 「あ、え…?」 中嶋さんだ。画面を見ていなかったのが災いして、間の抜けた応対をしてしまった。 『今何処だと訊いているんだ』 「部屋に居ますけど…?」 本気で怒り口調なのは、それが理由?なわけない…よな。 今日は約束もすっぽかしたりしていないし。 『なら具合でも悪いのか』 「えッ?」 どうして急にそんな。その答えは忙しないノックと共に明らかになった。 携帯片手に現れた―― 「中嶋さ…」 「――全く、手間を掛けさせるな」 「あの、さっきから何の…」 脱力し、安堵した様子が、眉の字からも見て取れる…けれど…? 「連絡不通で行方知れず」 ――って、誰が? 「お前以外に誰が居る」 俺っ?自分を指差せば、そうだ、と呆れた肯定が返って来た。 「そんな大袈裟な…」 ほんの数時間居眠りしてただけで… 会話に必要なくなった携帯を操作して、ずらりと並んだ着信履歴に唖然とした。 啓太、石塚、そして眼の前のこのひとからも。 全く気づかなかった…マナーモードだったとはいえ。 「――立場が立場だ。最悪、誘拐の可能性も危惧して当然だろう」 「はぁ…」 だけどいくらなんでも杞憂すぎる。とにかく石塚に連絡をしないと、と改めて携帯を見、改めて絶句した。 どうやらあれから6時間以上寝ていたらしい。 表示された時刻は22:33――?、まだ夕刻くらいにしか思っていなかった、のに。 「メシは?腹は減っていないか」 「だ、いじょうぶ…みたいです。あ、さっきケーキ食べたからかな」 「ほぅ…?」 「あ、すみません…中嶋さんはお仕事だったのに。俺ばっかり」 今日は――午前中、他校で学生会関連の用事、午後は午後で、溜まった仕事を片付ける、と聞いていた。 だからこっちも暇を持て余していて… 「そっちか…」 「え?」 「どうせ会計の犬絡みだろう。あの面を眺めてケーキなど、札束を積まれても断る」 …さすが蛇蝎の如くの間柄なだけある。感心している場合でもないか。 「余計なことを吹き込まれたんじゃないのか、ヤツに」 「え?そんな…ことは…」 あったようななかったような… 「口籠るようなことでもされたか。今すぐ返り討ちにしてやるが」 「ちょ…さっきから、何か決め付ける理由でもあるんですか」 む、と黙った相手は、無表情を競うならおそらく日本一。 「あの犬の行動など、明日の天気を予測するより判り易い」 「さすが類友…」 「何か言ったか」 「いい…――ぇ?」 ふたり並んだドアの前から、一歩近づいて腰を抱えられ、二歩で宙に浮き、三歩めでベッドに着地。 リズミカルにとととん、と定位置に落ち着いて、 「俺が」 「はい?」 「妬くのはおかしいか」 ベッド上に向かい合って座り、顔を覗き込みながら異なことを口にするポーカーフェイスの鬼。 「それ、ヤ…キモチってこと、ですか?」 「他に何を焼いて欲しいんだ」 「え、えぇ…っと」 返事に窮する厭らしい逆質問。 「アレは性質の悪い地球外生物だ。十分気をつけろ。エサに釣られるな」 「はぁ…」 七条――さんがこのひとに一体何を告げたのか、なんて、この時点では知る由も…なかった。 「ヤツから何を渡された」 「え?何って、何も…」 「………」 じっと探るような眼差し…是も非もなく口を割らせるのに。いつもの中嶋さんなら。 「えと…七条さんが何か?」 「何もないならいい」 ――ヘン、なの… 『貴方が幾ら束縛したところで、あの方はれっきとした社会人で理事長なのですから』 『――だから勝手にしろと言っているだろう』 『おやおや…珍しく寛容な態度を見せて、遠藤君が奇妙に思わないとよいですね』 『…雪も降らないし槍も降らん。アレがお前になびくこともない。犬は安心して小屋で寝ていろ』 『相変わらず無駄に自信過剰な方ですね。お言葉通り、僕は僕で好きに祝わせて頂きますよ。 その自信に首を絞められないよう祈ってますから』 「――たかが誕生日如きで…」 ぶつくさと呟くのが、頭半分上から聞こえた。 ベッドの中、上掛けと中嶋さんのぬくもりと、気だるい疲労感に包まれていても、 あれだけ惰眠を貪った後で眠りに落ちるのは、なかなかに困難だ。 ――誕生日…って誰の? 聞こえなかったフリをして、眼の前に刻まれている鎖骨のラインに鼻先をすり寄せた。 本当は抱きつきたかったのだけれど、狭い寝台の中、ぴったりくっつきすぎていて、腕を捜すのさえ一苦労。 ヤキモチなんて――柄じゃない。それをわざわざ口にするなんてもっと柄じゃない。 このひとが本音を漏らすのがどれだけ稀少か… ――あ…っ、もしかしてこれもひとつの幸せ? ロールケーキ効果…かもしれない。 向こうの思惑とはおそらく180度違うだろうけれど。 すぐ近くから、自分のものじゃない穏やかな鼓動と寝息が聞こえてくる。 ありえないほどの深い充足感にくるまって、いつしか浅い眠りへと落ちていく。 誰におめでとうと言われても、貴方の傍に居ること以上のものはないって、ちゃんと… わかって…る… だから安心して…、おやすみなさい…… 【和希おめでとう'09】 Copyright(c)2009 monjirou +Nakakazu lovelove promotion committee+ |