「――それでね、王様が中嶋さんのいるテーブルにおかずを一皿持って来て、『俺のおごりだ喰え!』って言ったんだけど、 中嶋さんは聴こえないフリしてて、それで王様がその辺にいた1、2年に歌えって言い出して、そしたら食堂中でハッピーバースデーの合唱になって」 「…ってさっき啓太が教えてくれました」 和希の言に、英明は思い出したくもないと言うように、眉根を寄せた。 「……誕生日だったんですね、知らなくて。…すみません」 「…何を謝る」 「え? ――ですから誕生日を…」 「そんなもの、知らずにいて困ることもないだろう」 「それは…そうですけど」 英明らしい物言いに納得する反面、少なくとも付き合っているという前提でいる以上、知っていて当然という気もする。 「――さすがにお前は、どうして教えなかったのかと無意味な言いがかりをつけたりしないようだが」 「…それは経験則からですか?」 「さぁな。ノーコメントだ」 「………」 珍しい、とまず思った。 英明が過去を自ら晒すような発言など。 判りにくいフォローなのだろうか、英明なりの? (仮)が付いていそうなとはいえ、曲がりなりにも恋人の誕生日を知らずに仕事に追われていたことを悔いている和希に対する? そう思えば、少しは気も晴れる。勝手な勘違いであってもだ。 「――結局一日遅れてしまいましたけど、これからお祝い…」 「必要ない」 「………」 「別にお前が丹羽と張り合う必要はないだろう」 「張り合ってなんかいませんよ。俺はただ中嶋さんの」 「…欲しいものもない。食べたいものもない。行きたい場所もない」 「………」 今から訊こうとしていること全て先手を取られて、しかも全て無意味な回答だ。和希にとっては。 「お祝いくらい…」 それとも勝手にする分には何ら問題がないという意味だろうか。 それは英明らしいような気もするし、和希の勘繰り過ぎのような気もする。 いずれにしても、何もしない、という選択肢はゼロと言ってよかった。 誕生日を知らなかったという一方的な後ろめたさが拭えない以上は。 そもそも英明――に限らず、学園の生徒のデータはいつでも閲覧可能な立ち場に居るわけだから、知らなかった、というのは 実は興味がないと受け止められても不思議ではない事案だった。 英明自身がどう思うかは別として。 「…お祝いくらい――、いえ、お祝いしたいんです。俺が。中嶋さんの誕生日を」 「……どうして」 「どうして…って」 どうして誕生祝いがこんな哲学的な問答になるのだろう。 英明の厄介な性格にはそれなりに慣れたつもりでいたけれど、やはり一筋縄ではいかない。 この男を言葉で納得させるのは容易ではない。 それは、貴方のことがとても好きだって伝えるのが難しいのと少し似ている。 「中嶋さん自身がどう思おうと、俺にとって中嶋さんの誕生日は特別な日なんですよ」 「その割には見過ごしていたようだが?」 「それは…単純に俺の落ち度ですが…」 本気ではないことくらい、英明の表情を見れば瞭然であっても、やはりその点を突かれると痛い。 忘れていたのと知らなかった、のとではどちらが罪深いのか、いずれにしても説得力がないことに変わりはない。 「そうヘコむな。俺に非があるかのように思えてくる」 「まさ、か…」 軽口に力なく笑い返してみても、当然愉快な気分にはなれそうもなかった。 誕生日を素通りし、恋人(仮)の欲しいものひとつわからない。 落ち込み始めたスパイラルは下るばかりだ。 「お前は忙しい身だ。それはわかっている。だからそれでいいと言っているんだ」 「………」 「なんだその顔は」 英明の眉間に深々と皺が刻まれた。だが、その言葉を言いたいのはこっちの方だ。 「中嶋さんこそ――」 別人のような甘やかな言葉は聞き慣れない分、不気味だ。何の企み?罠? でもそれを、面と向かって指摘できるほどの関係性はまだない。 顔色を窺いたくなるのは無理からぬこと、と言い訳しておく。 「………遠藤」 「はい?」 やおら英明が、むにっと和希の左頬を抓った。 「な…なんでふか?」 「お前が俺に気を遣うのはおかしな話じゃないか?なぁ理事長先生?」 「………」 抓まれた頬は別に痛くもないが、相反する行動とそれに含まれた意味に軽く戦慄を覚える。 「不敬な行動だと、今すぐこの腕を叩き落としたとしてもおかしくはないお前が、何故そこまで俺に気を遣う必要がある」 「ほれは…ふまり、」 不明瞭な発言に気づいて、英明が指を離したので、反射的にその場所に手を伸ばす。 だがそれよりも先に、英明はうっすらと赤くなった和希の頬に顔を近づけ、舌先でそこをぺろりと舐め上げた。 「――っ!」 不意打ちに身が竦む。反応を面白がった英明は更に調子づき、和希の首元に顔を埋めるようにして、耳やら生え際を鼻先でくすぐってくる。 「ちょ…っ、中…」 もがいて暴れる和希の肢体を抱きすくめて拘束、というある意味ではお約束の流れが、今は、とても―― 今はとても、安堵の割合が高い。 煙草臭い英明のシャツの匂いに、ホッとする。伝わる体温が、穏やかな気持ちにしてくれる。 こうやって互いにくっついているうちに、誕生日を祝いたい気持ちだとか、言いたくても言えないもどかしい感情だとかが流れて行けばいいのに。 どれだけ英明のことが好きなのかも、立場故の複雑な苦しみも、全部。 「…そう単純に事が進むなら、世の中平和だろうな」 「え…?」 「――だが逆に、俺が何を考えているのかお前に筒抜けなら、お前もくだらないことで無駄な時間を費やすこともない」 「え?え?…え?」 何がどうなっているのか、まさか本当にばれているのか、混乱の極みの中、英明が微笑いながら告げる。 「改めて誕生日と限定しなくても俺の欲しいものは言うまでもなくひとつだけだが、…そうだな、特別な日感を演出するために、 お前自ら趣向を凝らして俺を愉しませる、というのはどうだ?」 「愉…」 提案という名の恫喝に伴い、主にその男から刷り込まれた淫らな単語が脳内を駆け巡った。 どうだと問いつつもそれはもはや確定事項であり、和希に拒否権はない。 「――」 最早二の句も告げられず、幾らか眼を瞬いて英明を眺める。 その些かわざとらしい行動に込められた意味に、無論相手は気づいていただろうが英明は何も言わない。 何も言わずに黙って和希の次の言葉を待っている。 「あの、えーっと…例えばどんな…?」 「それはお前が自分で考えろ」 「そっ」 「――ああ、そうだな…強いて挙げるなら、理事長モードで、だな」 「は…」 世の中には理解できない部類の人間が少なからず存在するとか、降りかかる火の粉は振り払わねばとか、あれこれ言ってみたところで、 結局和希が自らを差し出すことに何ら変わりはない。しかも奇怪なリクエストを飲んだ上で。 「あー…その、」 「他の要望などないな」 「…くっ」 「別段難しいことを要求しているわけではない。高校生ではない普段のお前が、俺の誕生日に俺を悦ばせる――そのプロデュースをする、それだけのことだろう?」 「………」 その内容が大いに問題なんだが――英明は、このどうしようもなく老成した高校生は、困惑する和希を見て楽しむところがあるから手に負えない。 かといって、素直に受け入れるのには、自身それなりの立場だが邪魔をする。 どうにも逃げられない事案ならば、渋々頷いたのだと、甘んじて苦汁を飲むのだと、せめてもの意思表示を――無駄な足掻きを――… 「エグゼクティブというのも面倒なものだな」 「わかっているなら無茶を言うのは…っ」 「俺に理解るわけがないだろう?だから諦めろ」 「――」 安っぽいプライドなんかにこだわっていては、到底英明とは付き合っていけない? 正論のような暴論に、もちろん同意も出来ないが、逃げられもしない。ならばいっそ、 「なんだ…やはりお前は無理矢理がいいのか。さすが真正のMだな」 「だ…誰がッ」 「なんだ、今まで気づかなかったのか?それは余程運がいいのか鈍いのか、どちらかだな」 「――」 反論しようにも、もはや材料がなかった。 英明18回目の誕生日は、記念すべき性癖が明らかになった日。 −了−
【ヒデ様おめでとう…'14】 |