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「今着きました!」とメールが届いてから間を置かず、待ち人が眼の前に飛び込んできた。 息せき切って、頬が紅潮している。ハイヤーや、運転手つきの重役車で来たという感じはしない。 何より和希は、懐かしい学園の制服姿だった。 「――お待たせしてすみません!」 混み合うコーヒーショップの中で、真っ直ぐに英明を見つけ席に着くと、首に巻きつけたおそらく手編みのマフラーをするりと解く。 「走ってきたら暑くて…だいぶ待ちました?」 「いや…」 「こんなに走ったの、久しぶりです」 「歳を実感したか。――何を注文する?」 「え、あ、ありがとうございます。じゃあ…」 和希の分のコーヒーを買いにレジに並んで、ふと振り返る。 学校帰りの学生たちも多い店内で、制服姿の和希はほとんど違和感がない。 臙脂色のパイピングジャケットを見るのはほぼ8カ月ぶりだが、相も変わらず粋狂な学生生活を続けているらしいと知る。 寮に戻る時間がなく、着替えずにそのまま待ち合わせ場所までやって来たというところだろう。 英明の視線に気づいてこっそり手を振る姿は、高2でもまだ十二分に通用する。腑に落ちないことこの上ないが。 「――恥ずかしい真似をするな」 「えー…」 くすくすと笑う和希とうっかり和んでしまいそうになるのが、英明としては気に入らない。 「そんな恰好では、うっかりホテルにも入れないな。児童福祉法違反を問われかねない上に、学園の名に傷がつく」 「ちょ…っ」 聞こえよがしに呟いてやれば、淹れたての熱いコーヒーを吹き出しそうな、予想通りの反応ににんまりする。 「どうした?気をつけろ、火傷するぞ」 「そん…」 何か反論しかけた和希は、すぐに己を取り戻した。 「――どこかで服を買って着替えますよ。一緒に中嶋さんの服も買って誕生日プレゼントにすれば一石二鳥ですから」 「俺はついでか」 「言ってませんよそんなこと」 「何処で買い物しようとお前の自由だが、」 「…はい?」 ぶつくさ言いながら、英明の選んできたカフェラテプリンをつついていた和希がきょとんと顔を上げた。 「その格好で雨黒を出すのも、道義的に少々問題があると思うがな」 「…っ、現金くらい持ってますよ。少しなら」 「ほぉ…だったら遠慮なくゼニアでも強請らせてもらうか」 「もぅさっきからなんでそんな意地の悪い…」 コーヒーを飲み終わった和希を促して店を出た。 マフラーを巻き直した一見高校生の連れは、それなのに文句も言わずについてきて、 「――どうしましょうか。寒いし食事…の前にやっぱり着替えないと落ち着かないし。――俺のマンションに一度戻ってもいいで…」 「フロントで足止めをくらいそうだな」 「えぇー?自分の家に帰るのにそれは、」 自信ありげに宣言しかけたものの、最後の方は聞き取れないくらいに尻すぼみになっている。 コンシェルジュは住人の顔を覚えているだろうから、一流企業のエグゼクティブ(ということになっている)和希が高校生然とした制服姿で帰宅すれば、さすがにぎょっとするだろうし、和希にしてみても偽りの身分がばれるのは面白くないだろう。 変な趣味の人間だと思われるのがオチかもしれないが。 「――どうするんだ?」 「……うぅーん、」 和希もさすがに、英明の妨害が意図的であることくらい気づいてもいい頃だ。 あえては口にしない。英明の性質を一番理解しているのもこの男だろうから。 「じゃあ…デパ地下でお惣菜を買って、ケーキも買って、中嶋さんの部屋へ行きましょう。…どうですか?」 「…ケーキはさっき食べただろう」 「あれはプリンですから。第一、誕生日にケーキがないなんて」 「……好きにしろ。お前が責任もって片づけるならいい」 異論はないことを伝えると、和希は満ち足りた風に頷いた。 陽が暮れると急に寒さが強く感じられるようになり、早足でデパートへ駆け込み、ああでもないこうでもないと食べきれないほどのデリカを買い込んだ。 そうなると英明は完全に単なるポーターで、最後に購入したホールケーキだけは和希がしっかりと腕に抱えて、ようやく英明のマンションへと向かう。 学園を卒業して8ヶ月、独り暮らしを始めて8ヶ月、その間、和希がここへ来たのは数えるほどしかない。 「あ――、んまり変わってませんね」 「そうそう変わるものか?」 「よく言うじゃないですか。趣味が変わったら浮気を疑えって」 「なら、文句はないだろう」 「さぁ? 中嶋さんはその辺器用そうですからねー」 部屋に入るなりそんな謎めいた言葉を呟くと、和希はさっさと手を洗い、テーブルに買ってきたばかりのあれこれを並べ出した。 最後に主役扱いのケーキを箱から取り出そうとして、何か気になったのか制服のジャケットを脱いでシャツのカフスをまくり上げた。 学園の制服はデザイン重視なのか、その辺りがあまり機能的ではない。 だがそれより、和希がシャツの上にベストを着ていたのに気づいて、キッチンで食器の準備をしていた部屋の主は手を止めた。 ニットの手編みではなく、学園の標準服になっている黒のオッドベストだ。英明の在学中、和希がそれを着ていたことはないはず。 幾度も脱がせた記憶は確かだ。 「――珍しいな」 「え?何がです?」 「それだ」 顎をしゃくって示した先を、和希はぐるりと視線を巡らせて探す。 「去年はそんなもの着ていなかっただろう」 「……ああ、これですか?何となく中嶋さんっぽいかなって着てみたんです――なんて」 「なんだそれは」 「中嶋さんって、いつもきっちり制服を着ていたイメージが大きくて、俺も着てみようかなって」 作業を再開した、俯きがちの横顔からは本心なのかどうかもわからない。 英明は取り皿を持ってテーブルに近づく。 「――他に要るものは」 「あーえっと、ビール用のグラスと…」 「どうした」 テーブルセッティング中だった和希は、ふと手を止め、真剣な眼差しでこちらを見つめる。 「中嶋さん…ケーキとビールって合うんでしょうか」 「………」 どうやらこの男は本気で訊いているらしい。 ワインかシャンパンを買う予定が、さすがに制服ではまずいだろうし、かといって英明独りに買いに行かせたくはないと、 妙なところで倫理観念の強い和希はそれを頑なに拒み、結局英明の冷蔵庫のストックのビールで妥協することにしたものが、 ここへきてまさかのつまずきだった。 「まぁ…、飲めればつまみなど何でもいいという人間もいるからな」 「うーん、俺はやっぱりちょっと…後でコーヒーを淹れてケーキ…あ、それだとロウソクを消すのが後になるか…」 ぶつくさと、思案は続く。 「制服を着てきたのが間違いだったんですよね。着替えてもう一度買い物に行けば――、中嶋さん?」 「………」 「何か服を貸してもらってもいいですか?」 「……服を貸すのも、出掛けるのも止めはしないが、」 「はい?」 「俺としては…、久々に制服姿のお前を見てすぐにでも脱がせたくなった」 「なっ、何を真顔で」 「お前が間違いだったと言うのなら、俺にとってはそうでもないと応じてみたまでだ」 どういう顔をしたらいいのかと戸惑う和希の、ころころ変わる表情は魅惑的で、本来の立場を逸脱して丸ごとどこかへ置いてきたようだ。 在学中は英明自身も同じ制服だったせいか、あまり思うところもなかったが、自分にとって当たり前だったものが失せれば―― 一歩退いて見れば、 ストイックであるが故に乱したくなるというのがよく理解る。 「…それはフォローと受け取っておきますね?」 やがて、にっこりと平和的なほほえみで和希はそう結論づけた。 「………」 「め、珍しいですね、中嶋さんが、そんな風に気を使うのって。少し大人になったのかなーって。ははっ」 どうやらこの男はバレバレの動揺をひた隠しにしているらしい。 今更恥ずかしがるような間柄でもないだろうに。 「――どうした」 「えっ?」 「耳が赤いぞ」 「〜〜〜っ」 ばっと慌てて耳元を隠す和希を見てにんまりする。 そんな英明を見て和希は、担がれたことに気づいたようだ。 「な…っ、なんでもありま…」 「す、だな」 「どうしてそんな意地の悪いことばっかり。以前とちっとも変ってませんよね、そういうところ」 「そんなにすぐに、人間変わるものじゃないことくらい――」 すっと一歩近づいて、和希の側に身を寄せる。 ぴくりと弾けるような素直な反応に気をよくして更に続けた。 「…お前もよく知っているだろう?」 「確かに、中嶋さんが中嶋さんである以上…は…っ」 あえて他の場所には触れないようにして、首を屈めて口唇に軽いキスをする。 和希の態度は初々しい10代そのもので、観察しているこっちまで恥ずかしさが伝染しそうだ。 面白くなってきたので今度はそっと抱き寄せてみることにする。さしずめト書きには、躊躇いがちに、だが力強くとでも書いてありそうだ。 「――っ、わ、…な、…」 「何をそんなに独りで盛り上がっているんだ?さっきからお前は」 「もっ、盛り上がっているわけではなくて、何だかその……っ」 熱を持ったような耳朶に歯を立ててみる。噛み合わない会話と行動の狭間で、和希は必死に言葉を紡ぐ。 「色々…と、っ、恥ずかしいことを思い出してしまっ…て――」 「恥ずかしいこと?」 「……がまだ学園に、いた頃の…」 英明の言葉で、記憶のスイッチが入ったのか。時々この優秀な頭脳は理解を超える。 「ああ、制服プレイも悪くなかったと――しみじみ思い起こしたわけだな」 「ちょ、それ曲解し過ぎ…っ」 「結果的には同じことだ」 「もぅ――」 頬に口唇を寄せれば、和希は身じろぎしながらも、英明を受け入れる。 結果的同じことになるのはそうやって、お前が歳下の男を甘やかすからだ。 理解っているのかいないのか、和希は英明の視線から逃れるように戸惑いがちに眼を伏せた。 「――なら、こう考えてみればどうだ?」 「えっ?」 「今日は、俺を愉しませるために制服を着てきたんだとな」 和希の返事など待つ気はない。 誕生日の余興には勿体ないほどの、極上のナイトキャップを腕に抱いて、寝室の扉を開けた。 −了−
【ヒデ様おめでとう…'12】 |