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拍手と歓声の中、卒業式が無事終わった。 今年の三年生は特に個性派揃いだったから、一斉に学園を去ってしまうと思うと何だか非常に味気ない。 まるで塩の入っていない――…、と口にしようとしたが例えが頭の中で上手く纏まらなかった。 そんな和希を前に、幼馴染は「ヘンな和希」と揶揄う。 「そうか?」と笑って応じたつもりだけれど、顔が強張っているのが自分でもわかる。 「啓太も…寂しいだろ?特別可愛がってもらってたもんな。篠宮さんに岩井さんに…王様も」 「――和希だって寂しいだろ?」 他人事みたいだよって啓太の鋭い突っ込みはある意味正解だけれど、反面正しくない。 寂しいって感情も嘘ではないのに、それ以上にもっと――…的確な言葉を見つけることが出来ないでいた。 さっきからもうずっと、息苦しさが続いている。 静かになってしまった学園の中で、啓太とふたり、先輩たちが去って行った方を見ていた。 何となくその場から動けなくなり、それに優しい啓太が付き合ってくれているという状況だった。 「卒業してもまた会えるよ?すぐに」 「啓太…」 誰に、とは明確に言葉にせずに励ましてくれる、啓太の言葉は素直に嬉しい。でも、例えそうでも、ただ会うだけならいくらだって可能でも―― あの人が会いたいと思ってくれるかどうかは全く別の問題だ。 そう思えばまた苦しくなる。 学園に居る間は、手慰み程度でも…そんなレベルでも、和希を必要としていてくれた。 しかしひと度学園を出れば、そんな存在に価値など見出せないだろう。 あれだけの恵まれた容姿や明晰さに、魅かれない人間がいないわけが――… たったひとつの間違いは、和希がそれとわかっていて深入りしてしまったこと。 後腐れなく関係を終えられれば、こんなにも苦しくはなかっただろうに。 もっとずっと一緒の時間を過ごしたいなんて、不相応な感情を抱いた時点で和希の負けだった。 好きだなんて…甘ったるい想いはあの人には相応しくない。 もし自分が他人なら――第三者なら、やめておいた方が無難だとアドバイスするような、そんな人だから。 「――ヘンな和希」 「え?」 「オレなら好きな人にちゃんと好きって言いたいよ。例えダメだってわかってても、ちゃんと伝えてすっきりしたい」 「………」 啓太の純粋さは、今の和希がいくら望んでも手にすることの出来ないもの。 若いってことは、それだけで財産だ。 あの人が望んでいたのは物わかりのいい大人。でなければ和希に声をかけるはずがない。興味を示す筈がない。 「やっぱりヘンだよ、和希って。頭よすぎて考え過ぎるんじゃない?そりゃ和希には和希なりの考え方があるんだろうけど…」 「啓太…」 人の心に敏感な優しい啓太に、余計な気遣いを与えてしまった自分が情けなくなる。 いい歳をして、たかだが恋愛絡みでこんな風になるなんて。まさか一生の浮沈でもあるまいし。 「ごめん啓太、啓太にまで嫌な思いさせちゃったな」 「和希、そうじゃなくてさ、そうじゃなくて…」 何とか手立てを講じようとしてくれる必死さがいじらしい。そんな啓太にこれ以上迷惑をかけるのは、自分の望むところじゃない。 「――いいんだ、啓太。ホントにもう、」 「どうして――、あ…っ?」 「え?」 啓太の大きな眼が更に見開かれて和希を擦り抜け、廊下の向こうへと向いている。 和希が顔半分振り返ったときにはもうすでに、その『理由』はすぐそばまで近づいていた。 靴音までもが居丈高で、気配だけで他人を圧倒する。 「――捜したぞ。こんなところで暇つぶしとは優雅だな」 「どうして…?帰った筈では…」 家族のひとりも列席しない卒業式の後、ほんのしばらく王様たちと言葉を交わし、和希に「世話になったな」とそれだけを告げて去って行った。 啓太と並んでその後ろ姿を見送ったのは、一時間ほど前のこと。 「ああ、野暮用だ」 「忘れ物…か何か…」 「まぁ、似たようなものだ」 彼はちらりと啓太に眼を遣り、無言のうちに遠慮しろと告げる。 半年の間、学生会室で鍛え上げられた啓太はすぐに意を悟り、「じゃあ和希、またあとで」と身を翻して去って行った。 「啓太…!」 取り残された…なんておかしな気分になったのは、ずっと続いている息苦しさのせいだ。いきなり現れたこの人のせいなんかじゃない。 「遠藤」 「はい…」 もう二度とこの声を聴くことはないのかもしれないと、ついさっきまで本気で考えていたのが嘘のようだ。 「お前にひとつ訊くことがあった」 「な…んでしょうか」 「俺が居なくなって寂しいか」 「え…?」 彼の人は、例によって表情ひとつ変えず、ただ飄々とそぐわない問いを口にした。 言動がまるで理解できない。しかしそれも、今に始まったことじゃない。 「どうなんだ?」 「そ…」 何と答えたものかと必死に言葉を探した。けれど別に今更この人の前で取り繕う必要もない。 「逆にせいせいしたか」 「そんな――ことは…、むしろ俺は…、」 啓太の素直さが、不意に鼻先に香るように思い出される。寂しい、ではなく、もっと相応しい言葉をずっと探していた。 「俺は…貴方が居ないと俺は、」 何かのはずみでくしゃりと崩れる予感がする。感情的に、ではなく、物理的に。 自分を形作る細胞のひとつまでもが、この人に支配されている。いい意味でも、無論、悪い意味でも。 それを明瞭に相手に伝える言葉がないのがもどかしい。 「俺は――、なんだ?」 「………」 いつもせっかちなこの人にしては珍しく、和希の答えを待つかのような態度が不思議に思えて眼を上げた。 そもそも…わざわざ戻ってきた理由は? 奇妙な問いかけの本意は? 「ど…して、そんなことを俺に…?」 「…どうしてだと思う」 「こっちが訊いて…る…のに」 自分に都合のいい解釈だけはしたくなかったけれど、どうしても判断は自分に甘くなる。 「――は…、」 「なんだ?」 「中嶋さんは、俺…が居なくても、平気…?」 絞り出すような問いに、その人は見たこともないほど穏やかな笑みを口唇に乗せ、ゆっくりと一歩踏み出すと、和希の前に影を作った。 「平気かと訊かれれば答えようがない」 「…っ」 「お前が居ないという前提はありえないからな」 「え…?」 「だから迎えに来た」 眼を見開く他に、何も出来なかった。ありえない言葉が眼の前の人の口から紡がれる。陳腐な夢でないならこれは、苦しみが生んだ妄想…? 「だって、そんなの、――じゃあどうして、さっき…あんなこと訊いた…?」 俺が居なくなって寂しいかなんて。 「…お前の意見を尊重するのに何か不都合でもあるのか」 「意見って…、だっていつも何でも強引に」 「今までと今日からは違って当然だろう?」 何が?どんな根拠で?そんな疑問が顔に出ていたのだろう。 それこそ今までなら、反論さえ許さず強引な手段で和希の口を塞いでいただろうに。 「強引な手段でなければお前を手に入れられなかった。…でなければ、お前は立場を越えようとしなかっただろう」 「……今、は…?」 「――」 こんな風に静かな笑みを浮かべるこの人なんて、今まで知らなかった。 泣きそうな顔をする和希の頬に指先で触れて、そして、 「俺はもうお前の生徒じゃない」 「嘘ばっかり…そんなこと思ってなかったくせに…っ」 思わず和希の方から首元目掛けてしがみついた。 力強く抱き返してくれるその人の口元はきっと笑っていた。見えないけれどきっと微笑っていた。 「…それともお前は、強引にされる方が好きなのか?やはり天性の…」 「――な…っ、何を勝手なこと言っ」 「嘘つきはお前のほうだな。余程お仕置きされたいらしい」 「違ッ」 反論しようと身体を離そうと試みたが、何故か逆に拘束する腕が強まって身動きさえ取れなくなる。 今日で見納めになる制服に、半ば埋まるような格好で、息苦しくて、でももう、さっきまでの苦しさとは違う。 全然違う… 「中嶋さん――さっきの…答えをまだ…」 「ああ」 「俺は貴方が…居なくて寂しい、じゃなくて……」 ひとつ小さく息を吸う。煙草の香りが鼻先を掠めていく。 「俺は…、」 春。新しい生活に向かう貴方の隣を予約させて欲しいと、それだけを今。 −了− 【アンケ御礼】2012 monjirou |