「――お待たせしてすみません」


平日の夕刻、混雑するカフェに現れた和希は、スーツ姿だった。
仕事帰りか、あるいは途中で抜け出してきたものだろう。

同世代のサラリーマンの月収など遥かに超えそうな三つ揃えに、ブリオーニのネクタイ、ブレゲの腕時計、靴はサントーニ。
ただの一学生と同席する姿には、いささかの違和感がある。
和希はそんなものには一切頓着せずに英明の向かいの席に座ると、カフェオレを注文した。


「こちらから呼び出したのに、遅くなってしまって」


脱いだコートを隣の椅子に掛けると、「――何を読んでるんです?」と、首を乗り出して英明の手元を覗き込んできた。
そして矢継ぎ早に、「寒いですね」「大学はどうですか」と質問を投げかける。
最後に思い出したように、「お久しぶりです。お元気でしたか」と締めくくった。

英明が学園を卒業してもう1年近くになる。
不思議なことに和希との縁は途切れることなく続いていて、こうして現在に至っていた。
と言っても和希のほうから時折連絡を寄越し、都合がつけば外で会うだけのこと。不思議でもなんでもない。
最後に会ったのは昨年末。くだらないイベントに世間が浮かれる、確かその数日前だった。


「…お前は相変わらず忙しそうだな」


総ての問いをひっくるめて答えを返すと、和希は曖昧な笑みを浮かべて首を傾げた。
嫌味と受け取ったのかもしれない。
在学時、こんな対応は日常茶飯事だったように思うが、相手の反応に若干の違和感を覚えた。


「――それで?今日は何の用だ」
「あ、はい。今日はこれを…お渡ししたくて」


言って和希が取り出したのは、ラッピングされた小さな包みだった。
黒の包装紙に銀のリボンがかかっている。
一見してそれは、この季節特有の、やはりくだらないイベント――に関連した物体だとわかる。
英明自身が興味を全く持っておらずとも、14日の今日、その甘ったるい物体はあちらこちらから眼の前に差し出された。
構内で。学食で。廊下で。教室で。
口を利くどころか顔も知らない相手から、誰がモノを受け取ると思うのか知らないが。


「…なんのつもりだ」
「バレンタインですから」


和希は何の衒いも躊躇いもなく告げる。


「お前はいつも、何かしら物品と共に現れるな。餌付けでもされている気分だ」


暮れに会った際にはクリスマスプレゼントを。そのひと月前には誕生日だと言い、その前は――。

そんな、と、英明の言葉が本気か冗談か受け止めかねる様子で、和希は僅かに狼狽えた。
やはりおかしい。以前の和希なら、英明の軽口など柳に風と受け流していただろうに。


「わざわざ、こんなもののために俺を呼び出したのか」
「……はい」


今度は、確認するためにわざと訊ねた。
忙しいお前が時間を割いて?何のために?と。
案の定和希は困惑したように情けない顔になって、指先で頬を掻く。
それは、都合が悪くなった場合のお前のわかりやすい癖だ。


「時間の無駄だな。――出るぞ」
「え…っ」


戸惑いなど無視した上で和希を促し、店を後にする。
通りでタクシーを停め、すぐさま乗り込んだ。
何か言いたそうな和希を無言で制し、目的地に着くや、腕を引いて中へと拉致同然に連れ込んだ。
無論和希も愚かではない。ここが英明の現在の住まいだということには、おそらくすでに気づいていただろう。

玄関を開錠し、三和土に立つと同時に戸惑い息を切らせるばかりの和希の両肩を押して、壁に背を貼り付けさせた。


「な…っ」


和希は、中嶋さん、と声にならない声で呼ばわる。


「――時間の無駄だと言ったはずだ」
「どういう……、俺に構っている暇などないという…意味ですか」


英明が目論んだ通りに、和希は間違った方向に理解をしたようだった。眼差しが歯向かう力を失くしている。
それをあえて否定せずに、


「俺が卒業して1年だ。1年もお前は肝心なことをはぐらかしてきた」
「え…?」


意味がわからない――そんな顔で、和希は瞠目した。
英明自身も、これが理不尽な言いがかりに近いことは重々承知していたが、それでも追及をせずにはいられなかった。


「お前は――俺が好きなんだろう?」
「…っ」


いきなり核心を突かれて狼狽えるかと思いきや、和希は即座に立ち直って英明をぐっと見据える。


「なんですかそれ…」
「…俺の勝手な想像だったか」
「そ…っちじゃなくて!そ…じゃなくて…」


なんですかそれと返ってきた時点で、早まったかと一瞬背筋が寒くなった。
しかし今の和希に英明の心中など推し量る余裕はないのだろう、強気になったかと思えば、すぐに露骨に眼を逸らす。


「貴方に好きだって言わなかったことを責められる道理は…ない。
 大体、言えるわけがない。中嶋さんの、気持ちが……。俺は――会えるだけでも…嬉しく、て…」
「………」


途切れ途切れに吐き出された和希の言葉を、ひとつも漏らさぬよう拾い集めて自分の中で消化する。

両肩を留めていた手をするりと腰の辺りまで、和希のラインをなぞるよう移動させ、ぐっと我が身のほうへ近づけた。
背筋が反る形で、相手の顎が持ち上がる。
近づいた距離を、口唇で更にないものとした。


「ん……ッ」


責任転嫁であることは明らかだった。
じゃあ英明はどうなんだと責められてもおかしくない場面だったのに、和希は決してそうしようとはせず、悩ましげな吐息でキスを甘受する。

事実、英明だって何も和希に告げなかった。

学園を卒業して、先輩後輩ごっこが終わりを迎えると、その瞬間から和希はとんでもない世界の人間にすり替わった。
小手先の戯れでは誤魔化されない、手強い存在となった。
和希自身は何も変わらないのに、総て奪うことなど到底出来ない。難攻不落の最高峰。
およそ英明らしくもない気弱さは、本気だとかそうじゃないとか、そんな単純な話でもなく。


「……気づいたのは貴方が卒業した後で、正直言うと、会わないでいればそのうち忘れられるかもしれないと思って、…いました」
「忘れる。俺がお前を?」
「――いいえ、俺が、中嶋さんへの気持ちを忘れる…忘れてしまえるんじゃないかって。
 そのほうがきっと、ずっと、いいことのように思えて。でも駄目でした。
 すぐに貴方に会いたくなって。何とかこじつけて呼び出してみても、貴方は相変わらずだし」


ほんの少しの恨み言を吐き出して、和希がきゅっと英明のジャケットを掴んでくる。


「本当は、言いたかった。中嶋さんのことが、好きですって…伝えたかった」
「――」


英明の肩口に額を預けて深く嘆息し、眼を閉じる気配がした。
いつまでも玄関先に留まっているのも奇妙な話だが、今の英明は何ひとつ行動に移せず、ロクな言葉が見つけられなかった。
およそ滑稽なほどに、いつもの自分らしさを見失っている。


「遠藤」
「は…」


強引に奪うことの無意味さを今ようやく理解した。
呼び掛けに目線を上げたところへ、鼻先を摺り寄せるように改めて顔を近づけてみる。


「今日は…」
「はい?」
「いいのかもう、戻らなくて」
「………」


通常通りであればもう少し波及効果もあって、和希の気持ちをやんわりとほぐすことも出来ただろうに、今日は何もかもが上滑りする。
拉致同然に無理矢理車に乗せて来たことを鑑みれば、何をか言わんや、だろう。
むしろ和希はくすりと噴き出し、震える声で問うた。


「…どうしたんです――か?」
「別にどうも…」
「何か変なモノでも食べました?」


心なしか和希が嬉しそうで、ちょっと憎らしくなる。


「変なモノなら…、ああそうだな、今から食べる予定だ」
「…え、あ、チョコですか…?」


躊躇いがちに切り出されて思い出した。チョコレート――和希が差し出したあれは――何処へやったんだろうか。
完全に頭から消滅していた。

英明が黙ったもので、和希は己の早合点に気づいた。と言うより、一拍遅れて本音を悟ったらしい。
頬が一気に羞恥に染まる。


「あ…」
「ん?」
「その…」


急にそわそわと落ち着きを失くして見せるなんて、無自覚もいいところだ。


「どうした」


立場が逆転して、いつものポジションにようやく落ち着く。
掌で熱い両の頬を包み込んで、明後日に泳ぐ視線をこちらに向けさせた。


「帰ると言っても聞く気はないし、嫌だとごねても…」
「ごねても?」
「大人しく喰われろと言うだけだ」
「――そ…れじゃあ、」


和希は頬を挟まれたまま、それじゃあひとつだけお願いです、と英明の手に自分の手を添えた。


「…なんだ?」
「悪食は訂正してくださいね?」


本気か冗談か、見分けの難しい微笑みは、歳上の人間の持つ余裕にも見え、不覚にも眼を奪われる。
鮮やかで、それでいて柔らかさを残した、

遠藤和希――らしい顔。


「それは、食後に判断させて貰うとしよう」


貪るように腹に収めて、この一年分を取り返すつもりだから、
明日は一日使い物にならなくなっても文句は言わせない。


…いや、文句くらいいくらでも聞いてやろう。
細やかでもお前に貸しを作っておきたい無駄な努力だ。






−了−






【valentin'12】2012 monjirou
+Nakakazu lovelove promotion committee+


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