学生会を引退した直後から、時折奇妙な視線を感じるようになった。
他人に恨まれるのは慣れているが、どうも悪意の類ではない。
首の後ろがむず痒いような、例えるならそんな気配だ。


夕飯のために食堂へ向かうと、そこでもやはり同様に視線を感じた。
周囲を見渡したところで、学生でごった返す空間では、視線の元を確かめる術もない。
そもそも他人から視られることに全く頓着しない性格で――英明は、丹羽がテーブルの一角から手を振っているのに気づき、トレイを手にそちらに近づいていった。


丹羽の向かいの席には伊藤、その隣には遠藤が居る。珍しくもない面子で、英明は空いていた和希の前の席にトレイを置いた。
伊藤がどうでもいいような話を必死で喋り、それを脂下がった丹羽がふんふんと相槌を打ちながら聞いている。
学生会当時と何ら変わりない…ただ、全くと言っていいほど会話に加わらないもうひとりを思い出してそちらに視線を遣ると、まず眼に入ってきたのが夕飯のトレイ…の上のサンマ。
今日のメニューのひとつに、秋刀魚の塩焼きときのこの炊き込みご飯があり、切り身ではなく一尾丸々の見事な尾頭付き。
そのサンマの骨と格闘した痕跡が、長皿の上にわかりやすく表現されていた。


「――遠藤」
「は……はいっ?」


ただ呼び掛けただけだが、相手はいささか大仰に慌てた声を上げた。


「………」


皿の上から、徐々に視線を上に向けていくと、幾度も瞬きを繰り返している和希と眼が合う。


「…あの、何か?」
「お前は手芸部だろう」
「はぁ」
「…のワリには不器用そうだな」


図星を指されて憤慨するのかと思いきや、和希は暗にホッとした表情を浮かべ、


「不器用なつもりはないんですけど、魚だけは苦手で」


返答に、何かしら違和感を感じた。冷静に大人の対応か?また急に何を思いついたのか。


「それなら、もっと無難なメニューを選ぶべきだったな」
「今日はサンマが美味しそうだったものですから、つい」


無難な答えが妙に面白くなく、


「意外につまらない男だな、お前」


理事長のくせに、とさすがにこんな場所では大っぴらには声に出さずに、しかし暗に含めてみればさすがに何か言い返してくるだろうと踏んだ。
気の強そうなふたつの瞳に力が宿る。…が、そこまでだった。
確かに何か言いかけて、和希は明らかに口を閉ざした。
以前の…学生会の手伝いに現れていた頃はもっと、当意即妙に、英明の嫌味に応酬していたように記憶しているが。

















中嶋さんが眼の前で怪訝な表情を浮かべている。
何か反論しようとしたのだけれど、何を言ってもぎこちなく、空々しいだろうし、またそれを見抜かれそうでやめた。


9月の頭頃、学生会執行部の引継ぎに伴い、雑用からも解放されたわけだが、だからといって暇になるわけでもなく、その分を本来の仕事に回せるようになったくらいで、
なのに何故か時折、放課後、脚が自然と旧学生会室へ向かったり、
あの人のシニカルな笑みや、低音で魅力的な声で繰り出される嫌味が懐かしく思い出されたりして。
なんというか――物足りないと感じる。それらが間近にないことが。
中嶋さんに、特別な感情を抱いているわけではないから、おそらくあの強烈なキャラクターのなせる業なのだろう。
それとも和希の側が、特殊な環境に不本意ながら長居してしまったせいで、変態的な指向性が染み付いてしまったとか…?


原因究明はともかく、それでつい、人込みなどで眼が勝手にその姿を捜してしまうようになっていた。


幸い――かどうかは別として、中嶋さんは丹羽会長との腐れ縁(本人談)を切るつもりはなかったらしく、 食堂や何かで一緒の席になることは儘あった。
啓太と一緒のところに王様がやって来て、そこへ中嶋さんも現れるというパターン。今がまさにそれだった。


食堂の入り口付近に現れた姿を、すでに学習機能の備わったこの眼が見逃さない。
王様が席へ呼んだのでそっと目線を外したが、目敏いこの人に気づかれなかった――だろうか。
バレれば厄介だとの認識は持ち合わせている。厄介どころの騒ぎでは済まないだろうことも。


中嶋さんは、テーブルにやってくると、空いていた向かいに位置を定めた。
夕飯は偶然にも同じサンマの塩焼きで、王様や啓太が肉のプレートを選択したのと比べれば渋いチョイスだ。
でも彼にはなんとなく似合う気もする。


そのままトレイを眺めていて気づいた。中嶋さんは、実に綺麗に食事をする人だった。
サンマの骨が、見事に形を残して現れる。自分の皿を見下ろせば羨ましいほど。いくらがんばったって、骨がバラバラでみっともない。
…子どもの頃厳しく躾けられたのだろうか。厳格な家庭とは無縁のイメージだった。


「――遠藤」
「は……はいっ?」


いきなり呼びかけられ、心臓が竦み上がった。つい我を忘れて、凝視していた。
不躾な視線を不愉快に思わない人間はあまりいない。ましてや中嶋さんだ――
手芸部のくせに不器用そうだと、そんな皮肉に、逆に安心した。何を答えたものか、まるで記憶にない。
意外につまらない男だと揶揄されて、さすがに何か反論しようと言葉を探しかけて、ふと我に返った。
どうしてこんなに、この人に対して、以前とは明らかに違う感情を――抱いているんだろうか?
どうして眼は勝手に、この人の姿を追う?


中嶋さんが眼の前で怪訝な表情を浮かべている。
理由を訊きたいのはこちらだ。












【ばれんたいん'10】
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