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遠目には見分けなどつかない臙脂の制服の群れの中で、 そのひとの輪郭線だけがくっきりと浮かび上がって見えた。 つくづく…様々な含みを込めてだが、やっぱり目立つ人だと思う。 別にそのつもりもないのに眼が向いてしまう――きっと多くの生徒が同じように感じているだろう。 三学年揃って講堂での朝礼後、暗黙の了解で上級生から先にぞろぞろと集団がさばけていき、 啓太と他愛ない会話をしながら列の最後尾辺りを進んでいると、 先頭の群れから、ひとりはぐれてこちらに向かってくる人影に気づいた。 ただ流れとは逆に進んでいるだけ…それだけなのに、後輩たちの視線もついそちらへ注がれる。 強烈な存在感と、同時に他を圧倒する威圧感。蒼い炎のようなオーラ。 「――遠藤」 「は…」 どうしても視線が素通りできず、なのに声を掛けられるまで、眼の前でそのひとが立ち止まるまで、 何故か自分の元へやって来たのだとは思いもしなかった。 「話がある。時間は」 「え、あの授業が…」 「5分で済む」 人の都合はお構いなしなら、初めから同意を得る必要などないだろうに。 それでも、まだ講堂にちらほらと残る生徒たちの視線が気になり、とりあえず、 「なんでしょうか?」 「こっちだ」 外へ出るという意味なのか…言葉足らずの相手の意向を汲むのは半端じゃないが、ごねてもきっと結果は変わらない。 啓太に、先に戻ってくれと伝え、すでに歩き出している暴君の後を追う。 後ろを確かめもせず先へ進んでいく広い背中は、連れが付いてくるものと信じて疑わないのだろう。 自信の表れとも言えるか… 「…中嶋さんにお会いするのも久々ですよね。どうですか調子は」 もうじきセンター試験ですよねと振ってみたが、返ってきたのは「ああ」のひと言だけだった。 前学生会執行部の引退と共に、手伝いに借り出されることもなくなり、 このひとに会うのもそれこそ、食堂や何かで偶然に顔を合わせて挨拶する程度。 その頻度も決して多くはないが、さっきの例を挙げるまでもなく、 そこに居れば嫌でも目立つひとだから、視界に入らないことはまずない。 存在感のある中嶋さんの背中は、中庭に出ると海岸方面へと進んでいく。 付近は確かこのひとの格好の喫煙スペースだった筈。 始業直前の今は当然人影もなく、他人の眼もない。 「中嶋さん…?」 5分で済むと明言したワリに、ずっと押し黙ったまま。 そろそろ予鈴も鳴る頃だろうか―― ちょうど時計を気にしたことに気づいたかのようなタイミングで中嶋さんが足を留め、やっと口を開いた。 「――お前は、このまま学園に残るつもりか」 「は…?えぇっとそれは、来年度以降の話…ですか?」 いきなり何のことかと問う間もなかった。 「その口ぶりからすると、進級する気満々のようだな」 「それはどういう――あ、理事長職を続けるのかどうかってことですか?」 何故かその問いには答えず、泰然とこちらを振り返って再び押し黙る。 元々口数の多い人ではなかったけれど、こんな風に口籠るのは、記憶にある限りでは珍しい。 漠然とした違和感に、しかしそれほど深く中嶋英明を知っているわけでもないと自戒する。 後輩としての目線、理事長として知りうる情報、学生会の手伝い分の+α。 七条とは犬猿の仲であるとか、いかがわしい店に出入りしているとか―― 虚実入り混じった情報も多々ある。 「えぇと中嶋さん、俺そろそろ戻らないと…」 「――卒業後、俺のモノになる気はないか」 ………………はい? 頭の中に砂時計が浮かんで、いつまでも消えない。随分と処理能力の低いCPUだ… 「ちょ、ちょっと待ってください。話が全く見え…」 「別に慌てる必要はない。2ヶ月は猶予がある」 一方的に告げてそのひとは、脇を抜けて立ち去ろうとする。 「え、ちょっ中嶋さん…」 はっと我に返る頃にはもう、相手の後姿は大分遠ざかっていた。 |
「――和希!中嶋さんなんだった?」 教室に戻ると同時に啓太が駆けつけてきたけれど、ぎりぎり授業開始直前で、 残念ながらその好奇心を満たしてやることは出来なかった。 その後の休み時間も、教室移動やらそもそも受ける授業が違うやらで、 相談会…?は昼休みにもつれ込んだ。 「――っていうか啓太、何がそんなに気になるんだ?」 「だってあの中……いや、あの人だしさ。大丈夫かなーって」 ランチ片手に、陽光眩しいサンルームへと移動しての密談中。 啓太は禁忌でもあるかのように、その名を口にしかけて慌てて周囲を見渡し、声を潜めた。 って、どれだけ要注意人物なんだ… 「だってあの人に気に入られたら、眼が合っただけで男女問わず妊娠するって聞いたことあるし」 「啓太…」 誰に吹き込まれたか…はあえて問わないが。 「それで?和希」 「え?あ〜うん……卒業したら俺の――」 「俺の?」 期待の込められたふたつの大きな瞳に、どうせいつもの冗談と決め付けていた思いが、急に覆った。 「――ゴメン啓太、やっぱりなんでもない」 「えー…? 和希ホントは…」 「え?」 啓太は、更に声を潜めて耳打ちする。 「中嶋さんに何かされたんじゃないの?」 「何かって何だよ」 「ん…セクハラとか、お仕置きとか」 お仕置きって…悪戯して叱られる子どもじゃないんだから。 「よくわかんないけど、別に何もな…――あ」 「和希?」 向こうから――啓太の背後から、噂の当人が、例によって周囲の視線を浴びながらこちらに向かってやってくる。 このサンルーム自体が廊下の役目も担っていて、それでどこかへ行く途中なのかと思ったのだが、 中嶋さんは我々の座るベンチの前で足を留め、ちら、と啓太を見下ろした。 「伊藤、執行部の連中がお前を探していたぞ」 「え?どうしてですか?」 どうしたことか、啓太の返答には刺々しく、詰問に近いニュアンスが混じり、 当然、相手はそれ相応の態度で返してくる。 「そこまで俺の知ったことか。自分の携帯にでも訊いてみたらどうだ」 「ケータイ…あッ!」 慌ててポケットを探り、青ざめる。どうやら電源を切ったままだったようで、 「………ゴメン、オレちょっと行かないと――、和希」 「ん?」 「気をつけろよ?…ホントに」 「え?」 バタバタと走り去る啓太が、最後に何を指摘していったのかは… 「ふん――騎士気取りか?にしては頼りない」 このひとにもしっかり伝わったようだ。 「…いいか」 「え、あ…ハイどうぞ」 走り去る啓太を見送って、隣の空きスペースを視線が示す。 床から天井まで全面ガラス張りの、緩い曲線を描くサンルームの壁面に沿って並んだベンチは、 学園内で、お気に入りの場所のひとつでもあった。 今は、ちらほらとまばらに生徒の姿が見えるだけで、ベンチはずらりと空席が続いている。 そこにわざわざ…しかもこのひとと並んで座るのは、なんだか妙な按配… 「えぇと…何か?」 「一緒に昼食でもと思っただけだが」 「は、はぁ…」 説明のワリに手ぶらなのが謎だし、隣り合って腰掛けるのは、向かい合って座るのより緊張する。 顔を見ようとするのに、多少なりとも努力が必要で、ヘンに気後れして、足元ばかり見ていた。 中嶋さんのスラックスは、きちんと折り目がプレスされているし、革靴も綺麗に磨かれている。 自分でマメに手を入れているのだろうかと考えると、ちょっと意外…。 「…不愉快なら退散するが」 「え…いいえそんな、ことは」 顔を上げて隣に視線を移せば、じっとこちらに向けられている眼差しに、体温が上昇する。 「えっと、あ、そうだ、さっきの件――ですけど」 何か話題を、という切迫感に、相手は少し間を置き、 「なんだ?もう結論が出たのか」と、揶揄い混じりに応じた。 「いえ、こちらとしてももう少し詳しい説明を頂けませんと」 「成程…プレゼンが必要か」 本気かどうかも怪しい口ぶり。大体、問題がずれている気がしないでもないが、 「――いいだろう、質問があるなら何なりと」 道理が逆なのも、中嶋さん固有のものなら、ある程度は許容する。 個性の尊重は我が学園のモットーでもある。 「何なりとって、…」 しかしながら、ふたりの間の距離が微妙に狭まったように感じて、口元が強張った。 |
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