「――和希様、本日は18時30分よりN商事のS様と会食のご予定になっております」
「あーうん…」
「和希様?どこかご気分でも?」
「いや、なんでもない。えぇと、20時だったな」
「18時30分です」
「あ、そうか。うん、18時…18時…」


石塚が、ぼんやり考え込む歳下の上司を怪訝そうに見ている。
年度末からの慌ただしさを引き継いで、このところ特に忙しい毎日が続いていた。
4月1日の今日は本社で入社式があり、数日後には学園の入学式も控えている。
そろそろ学生業から手を引いて、本業に専念して頂けたらと秘書は常々胃を痛くしながら考えていた。


そんな石塚の懸念も尤もだったが、和希は和希で全く別の思いに耽っていた。
頭を独占するのは先月学園を卒業していった英明のことばかり。
まだ大学は始まっていないが、今頃何をしているんだろう。
彼の人に暇を持て余すというイメージはあまりない。
在学中、常に仕事に追われていた英明には、無駄な時間など存在していなかったと断言していい。

それを踏まえると、部屋でじっとしているとはあまり思えず、何処かへ出掛けているのだろうかなどと考え出すと、つい思考が脱線しがちだ。

いくら中身が鬼畜だろうが陰険眼鏡だろうが、あの恵まれた容姿を周りが放っておかない。
具体的に浮気の可能性だとかそういう杞憂ではなく、ただ離れてしまった距離が、ただひたすらにもどかしい。

それでも仕事中はさすがに気を張っているつもりだけれど、石塚に突っ込まれてしまうようでは大いに問題がある。


「――和希様、お召替えを」
「ん…」


接待も仕事のうちだ。気持ちを切り替えなければ失態をしでかす。
別のスーツに着替えて、サーバー棟の正面に出た。
いつものように迎えの車が待っており、いつものように乗り込もうとしたが、同行するはずの石塚はドアを開けてそのまま一礼する。


「和希様、いってらっしゃいませ」


うん?と首を捻るがそれよりもおかしなことに気づいた。
和希が座るはずの後部座席の奥に、誰かすでに乗り合わせている。
周囲はすでに薄暗く、窓はスモークガラスではっきりとわからない。
ぎょっとして一瞬身を竦ませたがそれは条件反射というもので、誰何するまでもなく慣れ親しんだその人だとすぐに判った。



「嘘…っ――」


そんなサプライズを誰が想像しただろう。
英明は見慣れないスーツ姿で、皮のシートに納まっていた。
不遜な表情と、動じない態度は少しも変わらない。


「どうし…て、こんな、ところに…?」
「――お前の秘書に訊いてみたらどうだ?」
「それはどういう…」


石塚をサーバー棟前に残したまま、すでに車は走り出している。


「飴と鞭だろう。出来た部下を持ったものだな」
「え…?」


しれっと答えられても、何の事だかさっぱりわからない。
今夜の接待は初めからなかったことと、英明の着ていたスーツが、大学の入学式用に和希が仕立てたものだったこと。
明らかになったのはそれくらいだ。


予約してあったレストランで、久々にふたりだけの食事を摂る中で、エイプリルフールだとネタばらしされて、ここに至るまでに石塚と英明の間でどんな取引があったのか知る由もないが、実のところそんなことはどうだってよかった。
どうでもいい――と思うくらい、単純に幸せだった。

四月馬鹿の名に相応しい愚かな奴だと笑われたとしても。


「お前も意外と騙されやすい性質だな」
「――そう…でしょうか。今回は確かに偽の接待でしたが…、そもそも石塚の言葉を疑えば仕事になりません」
「偽というわけでもないぞ」
「え?」
「むしろ本来の意味では正しいかもしれない。"夜の接待"だからな」
「………」


三割増しで格好いいスーツ姿の英明がにんまりと含みをもたせて微笑うもので、アルコールも手伝いついつい口が滑った。


「お相手のご希望に沿うのも接待の内ですからね、何なりとどうぞ」
「ほぅ、いい覚悟だ」
「キャバクラにします?それともお好みの女の子をホテルに呼びましょうか」
「――そんな無粋なものより、せっかくお前に誂えてもらったスーツもあることだし、リーマンプレイでもどうだ」
「………」


食後のデザートでもどうだ?のノリでしれっと、しかもとびきりいい声で囁かれたら、断る方が馬鹿げているように思えてくるから恐ろしい。


「それって…、拒む余地はない――んですよね?」
「取引先との蜜月に水を差す気はないだろう?いくらお前でも」
「…最後が余計ですよ」


蜜月、の言葉に心が踊る。
会いたくて仕方がなかった事実を思えば、多少の無茶など聞いてあげたくなる。


「あくまでも取引ですからね、俺にも何かしらの利益がなければ不公…」
「メリットならすでに十分得ただろう」
「――」


期せずして俺に会えたんだからな、と自信たっぷりに告げるその人に微苦笑しつつも図星には違いなく、そうですねと頷いてみる。


「…ところでリーマンプレイってなんですか?」
「それは今夜のお楽しみだ」








−了− 








【やっぱり英明さんのことだからネクタイで縛るくらいじゃ生ぬるいのよねきっとね】
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