「10年ですか、早いですね」と和希が呟くのを何気なく耳に留めて、キッチンから戻ってきた英明はコーヒーの入ったマグをテーブルに置いた。
「何の話だ?」と問えば、「いいえなんでも」と向かいの席に座った和希はにっこりと作り笑顔で誤魔化した。
聞こえよがしな態度で何をほざくのか、この男は。
訊いて欲しいのが見え見えで、あえて問うのは癪に障る。
和希にしても、英明がそう単純な人間ではないことくらい、もう十二分に学んでいるだろう。
何せ今年ですでに――…


ああそういうことか、と英明はひとり、合点した。
今年でちょうど10年になる。
あの学園で、年齢詐称ばかりか身分まで偽ったこの男と出会ってから。


「そうだな、早い様な気もするな」
「――」
「俺もすっかり歳を取った。27の自分など、あの頃は想像も出来なかったが」


同意を求めるように、和希に声を掛ける。話題の意図は明らかだ。それに気づかない相手ではない。


「そ、そうですね…でも英明さんは今のほうが、割と年相応に見え…」
「逆にお前は少しも変わらない。十も老けたとは思えないな」
「そんなことは…ありませんよ。やっぱり年齢的なものは感じますし」
「とてもそうは見えないが。…第一、俺は未だにお前の本当の歳を知らない」
「そう…でしたっけ?」


乾いた笑いでそうやって頬を掻いて誤魔化すのも、いい加減限界だと諦めればいいものを。


「情けないものだな。10年も一緒に暮らしてきたというのに、俺は余程信頼がないと見える」
「そ、そういうわけでは。――でも、今更って気もしますし」


何が今更なんだか知らないが。


「教えたくなければ別に構わない。お前にとって、俺の存在がその程度だということだろうからな」
「………」
「ん?」
「…って、本当の歳を教えたら英明さん、俺のこと――…」
「俺のことを、なんだ?」


和希は益々年齢不詳の顔で、眉を八の字にする。


「呆れて俺のこと…捨てるかもしれない」
「ほぅ、お前がそんな殊勝なことを言うタマだったとは初めて知った。長い付き合いでも知らないことが多いものだな」


英明の大仰な物言いにも、その手には乗らないとばかりに受け流して、


「誰だって若い方がいいに決まってます」
「俺をその辺のエロオヤジと同列に扱うな。それとも――お前のほうが、俺よりももっと若い男がいいと思っているということか?
 伊藤の例(ためし)もあることだしな」
「啓太は今関係ありません。それにこんなことで貴方と揉めたくはありません」


頑ななのは昔も今も変わらない。英明にしても、くだらない話で和希との仲をこじらせるのは本意ではなく、席を立つと和希の隣へ回った。
一瞬ぴくっと身を竦ませたのが、計算なのかそうじゃないのかと推し量りながら、相手の背中へ腕を回した。


「…別に俺としてもお前の歳がどうしても知りたいわけじゃない。ただ…お前があまりにも昔と変わらないと、俺も手加減するのを忘れてしまうというだけの話だ」
「………」
「不服そうだな」


「仮に俺が歳をばらしても…英明さんは手加減なんかしませんよ」


不埒な話題に照れも恥じらいもなくなったのが、10年の歳月の功罪かもしれない…と心の中でぼやきつつ、決して顔には出さない。


「――そこまで言うなら試してみるか?」
「………」


無表情を装う英明と違い、和希はもうありありと嫌悪感を表に出して、またですかとでも毒づきそうな気配を漂わせている。
…少なくとも英明の眼にはそう見えた。


「返事は?」
「あと…50年くらいしたら考えます」
「50年?」
「喜寿にもなれば、さすがに貴方も衰えが見られるかと思って」
「なるほどな…しかしその頃には、あっち方面の薬も店舗販売されているかもしれない。図らずもお前の会社からとかな」
「…その可能性は否定しきれませんが、あくまでも現状を踏まえての話とご理解ください」
「お前の言い分は分かったが、その度のらりくらりと誤魔化し続けるつもりか?」


さすがに厳しいだろうと笑ってやるが、和希の硬い表情は崩れない。そればかりか、


「英明さんが長年の喫煙の影響で早世するという可能性は今は考慮しないでおきますが、現実的に考えて、その頃まで貴方が俺に飽きないでいるかというとどうだろうという話です。 籍でも入れない限り、その歳まで一緒に居――…」
「………」


判り易すぎる反応だった。
自らの言葉ではっと我に返ったように無表情が一変、かぁっと耳まで染めて和希は眼の前の英明から即座に視線を逸らした。
ああそういうことか――、と英明は今度こそ改めて合点した。


「…そういう意味では、10年は長いと言えるんだろうな、少なくともお前にとっては」
「俺は何も言っ…」
「お前がそれを望むのであれば、俺に異論はない」
「な…っ」
「いい頃合い――ということだろう?」


うなじを引き寄せて、額同士を近づけ合わせる。


「な、何を、言ってるのかさっぱり…っ」
「日本だからな、今はまだ養子縁組が関の山だが、それこそあと50年も経てば法律も変わっているかも知れん」
「………」
「どうする。それまで気長に待つか、それとも…」
「――駄目です。英明さんは禁煙しないと長生きできないから…っ、50年なんて、絶対…無理…っ」


余計なひと言はともかく、和希がぎゅううと首を絞める勢いでしっかりとしがみついてきて、プロポーズを断られるという失態だけは回避できたらしい。
こういうのを棚ボタというのかそれとも…瓢箪から駒が相応しいのか?
いずれにしても、これで和希の歳をネタにして一戦仕掛けることが出来なくなったのは惜しいものだと、そんな不届き者の密かなる呟き。









【ヘヴン10周年おめでとう】2012 monjirou
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