白と薄紫の装飾花が何とも可憐な、八重咲きの額紫陽花を見かけたのは、訪問先の応接室だった。 清楚な花器に活けられた花が、室内の印象をがらりと変えている。 お茶を出してくれた秘書の方に何気なく問うと、家の庭に咲いていたものを活けたのだと教えてくれた。 不思議なもので、それだけで相手先の社内の印象までよいものに思えてくる。 『墨田の花火』という名がついているらしい。 なるほどそう聞けば、鮮やかに夜空を彩る花火に見えなくもない。 仕入れた知識を誰かに伝えたくなるのは人の常で、学園島へ戻る途中に園芸店に寄ろうとしたが時間の都合で叶わず、代わりに気の利く石塚が鉢を取り寄せるよう手配してくれた。 理事長室に届けられた紫陽花は、やはり直植えのものに比べれば勢いに欠けるが、それでも十分に瑞々しさを部屋の中へと運んできてくれる。 満ち足りた気分でふと花の下を覗くと、簡易なプレートが土に刺さっているのが見えた。 花の名称、取り扱い方…諸々が記載されている中に混じって花言葉が並んでいる。 『辛抱強い愛情、クールな美しさ、移り気、あなたは美しいが冷淡だ』 「………」 眼を通した瞬間、反射的にあの人の姿が頭に浮かんだ。 貴方は美しいが冷淡だ――ここまで的確に言い表されると、偶然とは思えない。 あの人のためにあるような花言葉じゃないか? そこまで考えて、そんな自身に呆れて失笑がもれた。 我ながら愚かしいほど、耽溺している。自分の生徒で、年下の情人に。 している…と、冷静な判断はまだ出来ているつもりだけれど、英明に言わせればそれも危うい、らしい。 「あ、返事きた…」 鉢植えを寮に運ぶわけにもいかないので、写真を撮って携帯に送った。 返信など端から期待していなかった分、妙にテンションが上がる。 「えぇと…『意味が分からない』…?」 リターンは簡潔にたったひと言。それだけだった。 写真に添えて送ったのが『中嶋さんっぽい花を衝動買いしました』だったので、それも致し方ないかもしれない。 「ふふ…」 そんなささやかな遣り取りでさえ嬉しいのも、骨抜きになっている証拠だろう。 生憎と、向こうから甘い言葉など聞いた覚えはないし、あえて無粋なことを訊こうとも思わない。 何を以て付き合っていると定義されるのか、それすら不明だが、とりあえず和希の側からすれば、ほとんど片想いに等しい。 仮に英明からの想いがあったにしても、50:50はありえないから、それはやっぱり片恋に違いない。 好きになった分だけ、思いが強い分だけ、弱くなる。 些細な言葉に揺れる。 切なくなる。 『実は花言葉が』と返信しようとして、思い留まった。 短い言葉で、和希の思いが伝わるとは思えない。あらぬ誤解を生むだけだ。 そしてそれは、英明の趣味趣向に最高の好餌となるのが眼に見えている。 それより直接会って、顔を見ながら色んなことをひっくるめて話す方がずっといい。 さっさと仕事を片付けて、今日は早めに寮へ戻ろう。 美しくて冷淡な人に、無性に会いたくなってきた。 サーバー棟の外はすでに薄暗く、いつの間にか細い雨が降り出していた。 傘を差して寮に向かい歩き出したが、英明はまだ学園の中だろうか。 仕事中なら寄って行ってもいいかと思い直した。 仕事の鬼は、放っておけばいつまでも机に向かって食事もロクに摂らない。 ほぼ丹羽の尻拭いとはいえ、看過できないものがある。 一旦連絡を入れて、所在を確認するほうが無駄足にならないだろうと思いかけたが、ちょうど学園を出て寮に向かう辺りで思いがけず――こちらに向かって歩いてくる人影を見つけた。 寮とは反対方向。傘を差していてもすぐにわかった。あの人の姿を見間違えたりしない自信はある。 少し遅れて向こうも和希に気づいたようで、傘の影から小さく手を振ると、足を止めて和希が来るのを待っている。 「――ちょうどよかった。今、学生会室に寄ろうかと思っていたところです」 「………」 「…中嶋さん?」 和希が言うと、英明は妙な顔つきで暫く考え込む。 「あぁ…、俺も今、お前の所へ行こうかと思っていた」 「え?」 「どうせいつまでも仕事に熱中して、夕飯も忘れているんだろうと思ってな」 「は…ははっ」 あまりにも同じようなことを考えているもので、突っ込む前に笑いがこぼれた。 「お腹空きましたよね。夕飯に間に合うといいんですけど」 「大丈夫だろう」 「やけに自信ですね」 「理事長権限で何とかなる」 「またそんな無茶振り…」 珍妙な会話を交わしながら、寮に向かってふたりで歩き始めた。 雨はまだ細く降り続いている。 「そういえば明日は七夕ですよね」 「…そうだったか」 「はい。晴れるといいですけど…」 美しいが冷淡な人はおそらく、そんなイベントには興味を示さないだろう。 傘を少し傾けて、隣の様子を窺った。 「そもそも星の話だろう。だったら雨など降らないんじゃないのか?」 「そんな身も蓋もない…」 「事実を述べたまでだ」 向こうも傘の端を上げてニヤリと、意味ありげな表情を浮かべてみせる。 急にこの傘ふたつの作る距離がもどかしく思えた。 並んで帰るふたりの位置は、傘の分、雨の分、いつもより少し遠い。天の川ほどの隔たりはなくても。 「中嶋さん…えっと」 「なんだ」 もう少し近づきたいだけなのに、自重してしまうのは年齢差だとか、いちいち気にしすぎる悪い癖かもしれない。 「――そういえばさっきの」 「えっ?」 「妙なメールはなんだ」 「あー…あれは、ですね…」 口籠る和希を待たずに、英明はさっさと次の話題へ向かう。わかりやすい人だ。 切り替えが早い。…のときだけは妙にしつこいくせに。 「何か言ったか」 「――いいえ、さっきのは…あ、これです」 説明するより手っ取り早い。携帯を出して、件の写真を英明に見せた。 紫陽花そのものではなく、説明文のほうを写した画面。 「………」 「これを見たら、中嶋さんっぽいなーって思っただけなんで、あんまり気にしないでくださ…」 手元を覗き込もうと、英明がぐっと上体を寄せてきた。気が付けばいつの間にか、和希の傘の中に居る。 「…っ」 無論和希が身を固くしたのに気付いているのだろう、英明はさりげなく和希の手から傘の柄を奪うと、自分の傘を片手で窄めた。 「濡れるぞ」 「な…」 流れについていけずに、肩を引き寄せられて歩き出した。 雨はまだしばらく止みそうにない。 −了− 【催涙雨】 Copyright(c)2012 monjirou +Nakakazu lovelove promotion committee+ |