「あーそういえば」


和希が何事か思い出したように声を上げた。
肝心の話相手は朝刊から眼を離さず返事も寄越さないが、それらを全く意に介さないで続ける。


「4月1日に嘘つくの忘れてました。なかなか狙って嘘をつくのって難しいですよね」
「――嘘は結構だが、くだらないことを呟いているような余裕はあるのか」
「あっ、ホントだ!」


時刻を確認すると、席を立ちつつ和希はコーヒーを飲み干し、
「あとでメールしますね!」言い置いて上着片手に、慌ただしく出て行く。
新聞をテーブル脇に放り、出勤していくビジネスマンを見送って、英明はやれやれと欠伸を噛み殺した。
二度寝するには覚醒しすぎた――現時刻午前7時45分。


春休みの間だけと念を押し、和希がマンションに押しかけてきて10日ほど経った。
寮は休暇中にクリーニング業者が入るので落ち着かない、独りは心細いと殊勝なことを漏らしていたような気もする。

毎朝英明の部屋から仕事へ向かい、帰宅前、夕飯のリクエストをメールで訊いてくる。
その返事に合わせてテイクアウトし、一緒に食事。たまに外食。毎日がそんな按配だ。
実際のところ、和希の本心はまるで窺い知れないが、別段どうでもいいことだった。
出勤の付き合いで朝早いのだけが難だが、それもじきに始まる新生活を思えばむしろ、リズムが崩れず好都合かもしれない。




夕刻、定期メールにふと思いつき、今日は何も買って来なくていいと返信して食材の買出しに出た。
大学近くのこのマンションに越してきて、まだほとんど近辺の状況を把握していない。スーパーの在処もわからない。
外食でも中食でも、腹を満たせれば肉体的には事足りるが、3年も学園で毎食出来立ての食事を提供されていたせいで、 いきなり飯の質を落とすことに胃袋が異を唱えている。
和希が持ち帰る出来合いのものが不味いわけではない――が、やはり旨くもない。何か物足りない。


人は変われば変わるものだ。キッチンに立ってみようかなどと英明に思わせたのは、やはりこれまでの環境――なのだろう。


改めて考えてみれば、3年間三食、しかも無償で、学費も何もかも全て与えられ不自由なく生活してきた。
当然の顔で享受するには膨大な量を、あの男から。
不思議なもので、英明の前にいるときの和希は、両腕にすんなりと納まるサイズで、年齢不詳の綺麗で賢い生き物だ。
格の違いや器の大きさを見せ付けられることなどない――









和希が手ぶらで帰宅してきた頃には、食卓の準備がほぼ整っており、何処かへ食事に出掛けるものと思い込んでいたらしい居候は、 英明が夕食の支度をしたと知って本気で眼を丸くした。


「――中嶋さんが?これを? 嘘…だって中嶋さん、料理なんてしたことあるんですか?」


並べたのは大したメニューではなかったが、エライ言われ様だ。
確か家庭科で調理実習の授業があったような記憶はあるが、生憎参加した覚えはない。


「自炊なんて、王様以上に縁遠い人だと思ってましたよ」
「…3年も旨い飯を食わせてもらっていたからな、お陰で舌が肥えたらしい。…お前には感謝している」
「………」
「なんだ」


破顔して食卓に近づいた和希は、英明の言葉に、俄かに表情を曇らせた。


「だって急にそんな…」
「単なる事実だろう」
「それでも…っ、そんな別れの言葉みたいな――」


いい大人が、今にも決壊しそうな涙腺を堪えて、英明を責める。


「…和希」


いくら英明が普段無関心な素振りを決め込んでいても、和希の徒ならぬ様子ぐらいちゃんと気づく。
俯いてしまった相手の腕を取り上げ、静かに呼びかけた。


「………」


応えて頤(おとがい)がゆっくりと上を向き、鮮やかな瞳が英明を追って開かれる。
魅力的な――と改めて念を押さずとも、たったそれだけの行動が英明を魅了する。
軽く頭を引き寄せて、続きを促すように、こめかみに口唇を押し当てた。


「……エイプリルフールの話を今朝、」
「ああ…」


訥々と和希は話し出した。


「好きな人ができたので別れたい――なんて嘘をついてみても、きっと中嶋さんは、そうかわかったって普通に頷くだけなんだろうなって」
「………」


一気に話がぶっ飛んだので、さしもの英明も脳内で分別整理を強いられた。
なにしろ文句を言われる覚えがありすぎて困る。あれやこれやと思い巡らしても一向に答えは出ない。


「――俺の知っている遠藤和希は、自分の妄想で落ち込むような馬鹿ではないはずだが」
「…馬鹿にもなりますよ。こんな厄介な人を好きになれば」


投げ遣りに言い放って、英明を軽く睨付ける。何処か恨みがましいような、または試すような視線で以って。
だから推察するしかない。
決して愚かではない和希が、ただ単純にそんな状況を想像してみただけ――なわけもなく。
春季休暇は終わり、もうじきに新学期が始まる。
おくびにも出さずにマンションへ押しかけてきたものの、その実ずっと不安を抱えていたのかもしれない。
新しい生活。これから先のこと。なのに厄介な相手は(俺のことだ)、ロクに話も聞かないし返事もしない。
悶々として挙句ナーバスになり、妄想が暴走した――


「和希」
「…はい」
「俺と離れるのがそんなに嫌か」
「――」


ストレートすぎたか、和希は一瞬ぽかんと白紙になって英明を眺めた。


「…俺と離れたくないなら、ずっとここに居たいと言えば済むことだ」
「だっ――てそれは…っ」


突如降って沸いたような話に戸惑い、迷って、表情がめまぐるしく揺れている。


「世話になった分、今度は俺がお前の世話を焼いてやる。朝から晩まで、もちろんベッドの中も――みっちりとな」
「それ…は…あまり手放しで喜べませんが…」


今にも崩れ出しそうな曇り空だった表情は、込み上げる感情を抑え込もうとして、中途半端に陽の差す青空のような。


「嬉しいなら嬉しいと言え。顔がニヤケているぞ?」
「…っ」


ぎこちなく首を明後日に向けたが、隠しきれるわけもない。
追いかけて口唇を重ね、柔らかく問い質す。


「――どうなんだ?」
「…俺が居ても……迷惑じゃない…?」
「飯を作るのは、ひとり分より楽だろうな」
「…本気で自炊する気ですか?」
「ああ、お前が賄いコックでも連れてこない限りはな」
「――」
「しばらくは不味くても我慢しろ。そのうち上達する予定だ」


「……ハイ」


小さな声で同意して和希は、ようやく微笑ってみせた。
小首を傾げ、はにかむ様は、どう眇めて見ても理事長なんかじゃ、ない。
全身全霊で、且つ、しかも無意識に英明を誘う、妖艶な生き物だ。


「それより――お前を味見するほうが楽しめそうだな」
「は?え?なんですか急に。ご飯…冷めます…よ…?」
「言い忘れていたが、居候には拒否権がないからな」
「――なん…っ、え、嘘…ですよね?」
「残念ながら、四月一日はとっくに過ぎた」




ただ――この男のためなら、年中馬鹿にもなれそうな気がする。
どうやらFOOLはお互い様のようだな。








【四月馬鹿2010】
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