「――嘘をつくような悪い子には、お仕置きが必要だな」


謎の転校生が学園にやって来て、最初の日曜だった。


「お、お仕置きって…痛ッ!」


掌でもたつく小動物のような1年生は、両の手首を頭上でひとまとめにされ、
ほとんど吊り上げられる格好になっても、怯えを滲ませた眼で、気丈に英明を睨みつけてきた。


「ほぉ…」


見かけと違い、そこそこの気概はあるようだ。
それとも単なる虚勢か…それは追々判るだろう。


「…っ!」


指先を頬に滑らせると、身を捩って逃れようとする。
華奢で頼りない肢体を包む、真新しい手触りの制服。
ネクタイの結び目に裏側から手指を引っ掛けられて、初めて本気の焦りが額に浮かんだ。


「離…せっ」
「そんな口を利いていいのか?」


耳元にねっとりと吹き込んでやり、身震いする細い首に眼を細め、
まさにお楽しみはこれから――というところだった。


「おぅヒデ、戻ったぞ〜」
「失礼しまーす。王様確保し…」


空気を読めない、無駄にデカくて能天気な声と、その背後からもうひとつ、


「ヒデ…、お前ナニやってんだ?」


同時に飛び込んできた厄介な存在に舌打ちし、戒めが緩むと、獲物はどさりと足元に崩れ落ちた。


「――啓…太ッ!?」


丹羽が邪魔で、すぐには状況を読めずにいたのだろう。呑気な相棒とは対照的に、
信じ難い光景に眼を見開いたもうひとりの1年が、悲痛な叫びで駆け寄ってくる。


「啓太!啓太…大丈夫…か…?」
「………」
「啓太…」


ショックでか、何も応えようとしない相手の背を労わるように抱きかかえると、
その1年生は、激しい憎悪を瞳に宿して、英明を睨みつけた。


「啓太に何を――何をしたんですか!」
「ご期待に沿えず申し訳ないが、まだ未遂だ。お前達がもう5分遅ければ答えられただろうが」
「――能書きも申し開きも聞く気はありません!
 …こんな……こんな真似をして、ただで済むとは思わないで下さいね!」


物騒な後輩の物言いを遥かに超越して、その表情にただ眼を奪われる学生会鬼の副会長。
成程、柳眉を逆立てるとはこういうことかと、英明をして納得しさしめた。

転入してきたその日に、伊藤を学生会室まで案内してきたその1年は、遠藤、と名乗った。
顔を合わせるのは今日が二度目か。
何故そのとき気づかなかったのか、と自分を笑いたい気分だ。
如何にも気の強そうな眼元、整った造作、白い肌、細身だが無駄のない肉付き、
すんなりと伸びた手脚…数え上げればキリがない。何処に潜んでいたんだ今まで――と。




その後、お節介が身上の丹羽の仲介で伊藤と和解させられ、結果的に学生会の手伝いがふたり増えた。
遠藤は相変わらず冷ややかな眼で英明を睨付け、口もロクに利かない。
そんな矢先、耳を疑う論外な報せが英明の元へ大手を振ってやってきた。


「――はぁ?謹慎?もいっぺん訊くけどよ…誰がだ?」
「何度も言わせるな。その耳は飾りか。…いいか一週間、1分たりとも書類を遅らせるな。
 死ぬ気でやれ。むしろ討ち死に覚悟で挑め」


1週間の自宅(正確に言うなら自室)謹慎という処分を、言い渡す教師でさえ首を捻る通知だった。


「ヒデ…お前何やらかしたんだ?煙草…なら謹慎じゃ済まねぇよなぁ」


あくまでも表面上は、勤勉で品行方正の代表のような生徒で通っている。
だから確かに、丹羽の言うように…何も原因が見当たらない。気持ちが悪いほどに。
しかし叩けば埃の出る身体である以上、深く追求するのも躊躇われた。

しかも中途半端な処分内容は、一週間の謹慎+一ヶ月間の外出禁止。
はっきりと停学、ではない辺りに作為的な何かを感じる。
単位も出席日数も足りていて、謹慎など降って涌いた休暇のようなものだが、
外出禁止となると…いささか厄介だ。


ピンポイントでツボを突くような手段に、ふと遠藤の顔が頭に浮かんだ。
自信に満ちたあの表情…馬鹿らしい想像だと一笑に付してみるが、拭いきれない疑念。
と、それ以外の何かが、胸にこびりついて剥がれない。
煙草で焦がしたラグの黒い穴のように、消えない。



処分が大っぴらになったわけでもないので、学園内でも英明の置かれた状況について知っている者は限られているはずだった。
数日後、夕食時で賑わう食堂に顔を出すと、ばったりと会計部の犬に出くわした。
さすがに事情を聞き及んでいるらしく、いつもの三倍増しの嫌味を浴びせられたが、
元より貸す耳もなく、広い食堂の窓際、奥のテーブルに遠藤の姿を見つけたために、
生憎、聞き流す段階にも到達しなかった。

椅子に座った遠藤の脇に、立ったまま話しかける細身のシルエット。白い制服に流れる髪。
食事中の遠藤に、食事を終えた犬の飼い主が声をかけた――そんな構図か。

夕飯のトレイを手に、死角になる位置からそっと近づいていくが、
余程熱心に話し込んでいるのか、ふたりとも英明の存在に気づく様子はない。


「――全く、余計なことをしてくれたな。これ以上学生会の機能を停滞させてどうする」


稀な西園寺の声の荒げ方だった。聞こえたのはそれだけだったが、それで十分だった。
気配に気付いた遠藤が顔を上げ、片手で相手を制す。
西園寺が優雅に振り向き、ちらりと、英明ではなく、入り口付近の七条に眼を遣って、何も言わずに去っていった。
犬はどうやら、足留めに失敗したらしい。ふん――こざかしい真似を。


「――遠藤」


そ知らぬ顔で食事を再開している1年の隣の席に、同意を得ずにトレイを載せた。
例え拒否されても聞こえないフリをするつもりでいたが、遠藤は何も言わない。
箸を止め、顔を上げ、


「ご苦労様です」


嫌味の出来損ないか?それは。
しかしそんなことよりも、斜め下から見上げてくる遠藤の顔に、うかうかと見惚れてしまった。
西園寺と知り合いか。お前が裏で手を回したのか。ではお前は何者だ?

問うべき事項を全てすっ飛ばして、英明の口から出たものは、


「お前、今フリーか」
「…………は?」


眉を顰める相手と同じくらい…むしろそれ以上に、こちらが混乱を極めていた。
コケティッシュな眼差しは、怜悧な頭脳を狂わせる。


「隣の席が空いているかどうかの問い合わせでしたら、訊くまでもないと思いますが」
「………」


人を小馬鹿にしたような対応も、愚問さを鑑みれば、ある程度は許容できる…するしかない。


「では改めて問うが――」
「あらかじめ言っておきますが、俺は貴方を許した覚えはありませんので」
「一週間の謹慎くらいでは生温いか」
「無論です」


即答して後、遠藤ははっと眼を逸らした。
挑むような強烈な眼差しが削がれたところで、やっと席に腰を下ろす。
冷めかけた夕飯に手をつけながら、おもむろに続けた。


「別にお前の正体を詮索するつもりはない。安心しろ」
「な、何ですかそれ――…」
「詮索はしないが、ひとつ訊きたい」
「――」
「俺が憎いなら、何故退学処分にしなかった。お前にはそれが可能なんだろう」


ここまで来ると、回答そのものより、相手からどんな答えが返ってくるかに比重がシフトする。


「別に仏心を出したつもりはありませんよ。俺としては退学でもよかったし、
 その後の貴方の人生を握りつぶすことだって辞さない心積もりでしたが」
「…そうしなかった理由は」


遠藤は少し言葉を探して、


「私情を挟みすぎるのもどうかと思っただけです」


答えになっているようでいない。


「処分を下した時点で十分私情だろう」
「その程度では、溜飲は下がりませんけど。致し方ありません」


噛み合うことのない会話を続けるほど暇ではない…実際今はすることもないわけだが。


「伊藤自身ならともかく、お前にそこまで恨まれる筋合いはない」
「犯罪者は往々にして、自分の罪の重さに自覚がないものですよね」
「仮に伊藤をレイプしたところで強姦罪には問われない。せいぜい強制わいせつか傷害か――」
「話になりませんね」


忌々しく苦々しく吐き捨てる、その表情には以前別の場所で――別の人間で、見覚えがあった。


「遠藤」
「なんですかッ」
「伊藤はどうやら丹羽に傾倒しているようだな」
「――」


遠藤は瞬時に整った顔を曇らせ、だがすぐに、何も耳に入らなかったかのように無表情を取り繕った。
予想通りの動揺。
伊藤が自分の手を離れていくきっかけを作った英明を逆恨みしているんだろう。
複雑なようでいて、意外に単純なのか。この男の思考は。


「いさぎよく身を引くほうが伊藤のためだろうな」
「な…そんなこと貴方に指図される覚えは――…」
「お前がどう足掻こうと、納まるものは納まるべきところに落ち着く。むしろ俺に感謝して欲しいくらいだな」
「全面的に同意しかねますが、貴方の過去の教訓は心に留めておきますよ」


強がり――なのか何なのか、それでも、納得しなければならないと頭では理解しているように感じた。
大人ぶって…というよりも、経験から来る諦めにも見える。


「伊藤に構う時間が空いたんだろう。お陰で暇を持て余している俺を構え」
「…はい?」


全てがリセットされ、ぽかんと口を開けかねないマヌケ面で、和希は隣に座る相手をまじまじと見つめた。


「聞こえなかったか。俺と付き合えと言ったんだ」
「――な、なんでですかッ」
「お前が気に入ったからだ」
「バ…っ」


馬鹿なとでも叫ぶつもりだったのか、態度とは裏腹に、ポーカーフェイスは見事に崩壊しつつあった。
大きく見開かれた眼が、やや染まった頬が、どういう顔をしたらいいのかと惑う様子が、
他人の美醜になどまず興味を持たない英明の眼にさえ堪らなく映る。


「中嶋さん、頭おかしいのと違いますか!」


動揺のあまり、言葉遣いまでおかしくなった辺りで、ダメ押しの追加点。


「至って正気だが。お前のたっての希望なら、」
「は?」
「おかしくなってやってもいい」


向かいではなく、隣の席を選択したのはただの偶然だったが。


「なッ――…」


手を伸ばせばすぐに届く距離は必然の結果だ。
肩を抱き、ついでに顎に手を沿えこちらを向かせる。
文句や抗議を投げつけられる前に、黙って口唇を奪い取った。
ここが食堂だということは、指摘されずとも理解っている。
ざわつく周囲の視線を十二分に感じた上で、更に深く和希を追い詰めた。

抵抗を封じるなど、二次的な理由でしかない。
ただこの口唇にキスしたかった――と、たまには自分に素直になってみた結果だ。



■ □□■□ ■ □□■□ ■ □□■□ ■ □□■□ 



まともな思考の持ち主ならば、あんな状況下から和希が英明の元へ堕ちてくるなど考えもつかないだろう。
あるいは何か策略あってのことかと勘繰るに違いない。


「策略って何ですか、失礼な」
「油断させておいて、ある日ひと思いに止めを刺すつもり――お前なら十分動機もありえるだろう?」
「へぇ〜それじゃあ中嶋さんの首の皮が未だ繋がっているのは、どうしたわけでしょうね」


すっかり化けの皮がはがれた和希は、はっきりと歳上風を吹かせ、しゃあしゃあとのたまう。


「俺なしでは居られない身体になったからじゃないか?」
「残念ですけど、俺は別に貴方のこと、好きでも何でもありませんから」


きっぱりと宣言する可愛げのない口唇を、あの日のように引き寄せて奪い、離れ際に言い残す。


「――奇遇だな、俺もだ」




負け試合でもいいなんて思ったのは生まれて初めてだ。
ただ、いつまでも負け続けるとは限らないぞ…覚悟しておけ。








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