センター試験が目前に迫った週末、学園中を奇怪な話題が駆け巡っていた。
知らずにいたのは、出張で島を離れていた理事長と、
最後の追い込みに必死で、他人のことなど構っていられないその他数人の生徒のみ。




帰寮して、夕飯を――と食堂に足を踏み入れた途端、
集まった生徒たちの視線が一斉に自分に注がれて、和希は面食らった。


「な、なんかあった…のか?」


咄嗟に思い浮かんだ。秘密が露見したのかもって。
でもそれだったら、寮に戻るより先に、誰かから連絡が来るだろう。
連れ立って夕飯を取りにきた啓太に、縋るような視線を向ける。
と、啓太はぎくりと身を小さくして、あらぬ方向に視線を泳がせた。


「…啓太?」
「あぁ〜和希はまだ知らなかったんだよな」
「なにを?」
「でも俺の口から言っていいのかわかんないし」
「啓太」


寮中がすでに知っているような事実を、今更隠すほどのことなのか?
やや強めの口調で促すと、啓太は小さな声でぽつりと告げる。


「――王様と中嶋さんが…センター試験の点数で賭けするんだって」
「賭け…」
「うん。それを聞きつけて、みんなどっちが勝つかって盛り上がってるらしいよ」


何を…やってるんだ一体。我生徒ながら情けない…
どうせ俊介辺りが他の生徒をけしかけたってとこだろうけど、
当のふたりが言い出さない限り、そんな話に乗るわけがないだろうし。


じゃあ元凶は…誰なんだ?


それに、この興味津々且つ、下世話な視線…は、一体…


「けーた…」
「な、なに?」
「俺、ものすごーーーーく嫌な予感がした、ぞ…」




啓太を問い詰めれば予感的中。
無許可で、しかも賭けの対象物にされる人間の気持ち、考えたことがあるのかあの人たちは!
憤慨しながら訪ねて(乗り込んで)行った先で王様は、ドアを開けるなり、あ、の口で固まり後退った。


「王様、よろしいですか?少々お訊ねしたいことがあります」
「い、いや、俺、明日の準備…」
「すぐに済みます。ご心配なく」


勢いに気圧されて、丹羽前会長はようやく顔の強張りを解いた。


「――賭けのことだろ?お前が訊きてぇのは。もちろん冗談だって、本気にすんな。
 アレだよホラ、モチベーションだって。ヒデが妙にヤル気ねぇから…――っと」


やれやれといった口調の割には、ついついいつもの王様っぷりが出てしまったらしく、
慌てて口を噤んでも、疑念を抱かせるには十分過ぎた。


「ヤル気が、ない…?」
「な、なんでもねぇって。ヒデに余計なこと言うなよ?頼むから」


ほとんど追い出されるように廊下に出れば、すぐ傍にはあの人の部屋のドアが並んでる。
眼をつぶってても間違えないくらい通った場所。


「……」


普段からそんなにヤル気満々って人じゃない。かと言って無気力なのとも違う。
仏頂面で文句と嫌味を言いながら、それでもきっちり仕事をこなす。
感情は余り表に出さない――それをよく知ってる丹羽前会長があんな風に言うってことは、
それだけ真実に近い…?


王様のところに突撃したのとは真逆に、どうしても訪ねていく勇気が出ず、
後ろ髪引かれる思いで自室に戻った。


まさかとは思うが、直前になって欠席を決めたり、あるいは白紙解答――
ありえない…あの人に限って。
なのに心がこんなにも落ち着かないのは、何故なんだろう…



□ ■ □ □□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □□ ■



センター初日を終え、中嶋さんが無事に受験したことを耳にして安堵した。
やはり杞憂だった――いつものふてぶてしい笑みで、俺を侮るなとでも言われてしまうかもしれない。
そんな思いで、2日目終了を待ちきれず、中嶋さんの部屋をノックした。


「――失礼しま…す…?」


ドアの向こうから微かに反応があったようで、躊躇いながら扉を開けて中を覗き込んだ。
さほどの広さもない部屋で、在室なら即座に眼に入る筈…


「中嶋――さん…」


ベッドに浅く腰を下ろし、煙草を咥えている。
確かにそこに居るのに、まるで気配が…違う。
恐ろしく存在が希薄。今にも消滅してしまいそうな。


「中嶋さ…」


王様が気にするのもわかる。でもこれは…ヤル気がないのとは違う…
焦燥?憂い?どちらも中嶋さんには遠い世界の出来事のようだが。


「どうした。そんなところに突っ立って」
「あ、あの、試験どうだったかなって」
「…賭けの結果が気になるのか?」
「いえ、そうじゃな――…」
「あれは丹羽が勝手に言い出したことだ。本気にする必要はない」
「あ…」


煙草を消し、顔を上げた。
いつもの無表情さの中に、じんわりと滲む微かな影。
その正体はまだわからない。

気を抜けばそこから見えなくなってしまうんじゃないかって、
一歩一歩眼を逸らさず、存在を確かめるように傍に近づいて、そっと足元にしゃがみ込む。


「そういえば今日の英語は出題傾向が…」


余計なことなら訊けるのに、どうかしたんですか?のひと言がどうしても口にできない。
俯いた視線の先に映るのは、頼りない自分の膝と、中嶋さんの長い脚。


「――」


小さく何か呟く声が聞こえた気がして、ぱっと顔を上げた。
こちらを見下ろすその人の眼は、いつもより少しだけ穏やかな色をしていた。


「遠藤」
「は…い」
「そこでは届かない。キスもできない」
「……」


誰だろうこれ…

段々混乱が大きくなる。
居丈高で偉そうで命令口調なのもいつものこと。
でも中嶋さんの顔をした偽者なんじゃないかってうっかり考えてしまうくらい妙じゃないか。


「どうかしたか」
「えっ…と」


とにかく促されて、疑惑と共に立ち上がった。
中嶋さんの膝の間に身体を入れて、おずおずとその人を見下ろす。
キスにはまだ少し、距離が遠い。
なのに中嶋さんもこっちを見上げているだけで、それ以上の進展がない。


これ、は…催促――してる?


咳払いで照れを誤魔化して、腰を屈め、軽く口唇を触れ合わせる。
ここで予想できる相手の行動――項を引き寄せるとか抱き寄せるとか――がまるでなく、
眼を開けてみれば…何ですかその表情。不満?もっとちゃんとしろ?それ以外?


何だかこの中嶋さんは…ヤル気がないんじゃなくて――単なる怠け者みたいだ。
文句を言いながら散々仕事をこなしてきて、ここで急に意欲の喪失。それって、


「中嶋さん、燃え尽き症候群ですか?」
「…くたびれたどこぞのサラリーマンと一緒にするな」


あ、やっとまともに喋った…


「じゃあ、どうしたんですか?」
「どうもしない。俺がお前にキスをせがむのが、そんなにおかしいか」
「そっ…」


眼下からにょっと腕が伸びてきて、指先が首筋を緩く撫でる。


「それだけじゃないでしょう?もっと前から…」


余計なことは言うなと王様に釘を刺されていたことを思い出し、つい言い淀んだ。
義理立てする必要はなさそうだし、王様のことだから、それ以前にどうせバレてる…


「丹羽は単純馬鹿だからな。花といえばチューリップ。
 ケーキといえば苺ショート。応用ってモノを知らない」
「どういうことです?」
「別にヤル気を失くしたわけじゃない――ってことだ」
「わッ!」


急に引き寄せられて、すぐさまベッドにダイブ。
さっきまでの無気力さは何処へ行ったんだ何処へ!


「――駄目ですよ。明日まだ理科と数学――…」
「一夜漬けは好みじゃない」


狭いベッドに組み伏せるその人の眼は、間違えようもなく、本物の中嶋さんだった。
じゃあ今までの…は演技?そんな必要、どこにあったんだろう。


「待ってくださいって――ん…んんッ! ちゃんと説明――して、から…ッ」
「説明?何のだ」
「だ、だから…っあ」


いいように耳朶を噛み含まれて、次第に追求どころじゃなくなってくる。
でも駄目だ。よくわからない義務感に追い立てられ、なけなしの理性でもって中嶋さんを留めた。


「教えたくないならいいんです。でも俺は気になるし。
 せっかく…その……なら、余計なこと考えていたくないし」


理性っていうワリには卑怯な手。ちょっと上目遣いの、確信犯。


「安心しろ。余計なことなどすぐに考えられなくなる」


…言うと思った。





悦楽に溺れるままに夜は更けて、いつの間にか眠ってしまったらしい。
明日も試験なんだから、早く戻らなきゃって思ってたはず…なのに…


夢うつつに、中嶋さんの声を聞いた気がした。
乱れた前髪を梳く、指先の感触と共に。


「そんなに鈍くてよく管理職が務まるな。
 ……を前にして……る理由など、そうないだろう…?」


肝心な部分がよく聞き取れない。


「中嶋さん…」


夢の中で聞き返したところで届かない。
なのに、重ねられた口唇はちゃんと暖かいのが不思議…









【センターお疲れ様です】

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