「先輩!待ってくださいって!」 「煩い!お前とは今後一切口を利かない!」 「先輩ッ!」 終業にはおよそ早い時間帯の駐車場には、人気もない。 ふたり仲良く連れ立って早退、には程遠く、 光の速さで先を行く石塚を、岡田は必死に追いかけていた。 「…いいじゃないですか。理事長は偏見など持つような方ではないと思いますよ」 「そういう問題じゃない!」 愛車のドアを勢いよく開けて、石塚はシートに飛び込んだ。 次いで、力任せに閉じられるはずだった運転席のドアは、意外な抵抗に遭い、その役目を奪われる。 「…手を離せ」 「先輩――俺今日足がないんで、置いていかれると困るんです…けど」 「……」 タクシーでも何でも呼んだらいい。お前は体力馬鹿なんだから、徒歩でだって帰宅できるだろう―― そう言ってやればいいものを。 「すみません先輩…」 本当にどうして―― ハンドルを握りながら、石塚は己の甘さに舌打ちでもしたい気分だった。 「お前の部屋でいいんだな?」 「はい…あッ!」 「なんだ」 「俺、荷物……」 忘れてきました…と心細げに続く言葉に、本気で眩暈を感じる。 「忘れてきたって――」 「秘書室に置きっぱなしに。だって先輩、待っててくれないから」 「………」 今更どんな顔して職場に戻れと言うんだ。 「部屋の鍵くらい持ってないのか」 「一切合財全部です。成田から直行しましたし」 「じゃあ…今日はホテルにでも泊まるしかないだろう。 明日は公休だったな。荷物は届けさせるよう手配しておく」 「あのー…先輩のトコ、行ったらダメですか…?」 「駄目だ」 「どうしてですか。会うのも2週間ぶりなんですよ」 「和希様のご厚意で早退させていただいて、そんな真似ができるわけないだろう」 「……」 急にだんまりになったサイドシートの存在に、 目的地も不明なまま、石塚は仕方なく車を手近な店舗の駐車場へ滑り込ませた。 「どうするんだ。何処へ行――」 「俺、先輩のそういう冷静なところ、仕事の面では尊敬してますけど、理解したくはありません」 「別に理解してもらわなくても結構だ」 「………」 頑固な人だと呟く声が、シートベルトを外す音と重なる。 「――ありがとうございました。明日出社して、荷物は取りに行きますのでお気遣いなく」 ドアが内から開き――閉じられる。 一連の動作は流れるように淀みなく。 「岡田」 気がつけばこちらが悪者にすり替わっている罠。 追う必要も義務もないはずなのに。 どうして車を降り、どうしてこれほど焦燥に駆られて名を呼んでいるのか。 「岡田――」 「…もっとちゃんと呼んでくれませんと、振り返れません」 「……」 「――もう、そんな顔しないで下さい。俺が苛めたみたいじゃないですか」 ととと、と駆け戻ってくるデカイ図体の上の笑顔に、何故かどうしようもなく安堵してしまう自分がいる… 「すま、ない…」 「とにかく出ましょうか。運転、俺が代わりますよ」 項垂れる背中を軽く叩いて促す大きな手。 どちらが歳上なんだかわからなくなるような仕種。 「だーかーら!そういう顔するのナシですって。これでもさっきからずっと耐えてるんですよ?」 「――」 「わかってます。往来で馬鹿な真似なんかしません。 鈴菱の秘書って自覚は、一応それなりに持ってますから。 先輩にとっては理事長が何より優先されるってことも、ちゃんと。 でも…2週間ぶりに顔を合わせたときくらい、嬉しそうな顔して欲しかったもので、 つい理事長のお言葉に悪乗りしてしまって――… 結局、全部俺の勝手な都合なんですけどね」 「…岡田」 3つ下の恋人は、穏やかな微笑みと共に、右の手を差し出した。 「理事長はずっと以前から全てご存知で、その上で何も言わずにいてくださったんですから、 そんなに気に病むことはないと思います。まぁ、俺が言えた立場じゃないんですが」 わだかまりは消えはしないが、慰めの言葉を受け入れるだけの余裕が、 その笑顔によって少しは生まれた気がする。 「そう…だな…」 「はい。大丈夫ですって」 眼の前に伸ばされていた岡田の掌に、車のキーと一緒に、自分の右手を重ねて置いた。 「――じゃ、行きましょうか」 キーを受け取ると、大きな手がほんの一瞬、強く手を握り返してくる。 「岡田、ひとつ…言い忘れていた」 「なんですか?」 「――おかえり」 幾度か眼を瞬かせて岡田は、極上の笑顔で「ただいま」と応えを返す。 「先輩…俺、それ、毎日聴きたいな…って言うのは駄目…ですか」 「――」 その、眩しいほどの笑顔を、いつも近くで見ていられたらと、 そんな気の迷いを見透かしたような呟きに、 本気でどうしたらいいのかわからなくなり、 「え?ちょ…先輩ッ!?」 とりあえず走って逃げ出すことにした。 【鯉は思案の外・おまけ】 Copyright(c) monjirou +Nakakazu lovelove promotion committee+ |