自分へのご褒美、なんてちょっと芝居じみているけれど、
少し遅めの正月休みも兼ねて、近場の温泉に一泊、宿を取った。
ただし言い出したのは秘書のひとりで、それが手配した列車のチケットは何故か…2枚。


「ああ、お前も行くのか?」
「いえ…お供させて頂けるのは光栄ですが、きっと他にお誘いする方がおられるのではと思いまして」


先を読んだ、秘書の鏡のような答えに、少々胡散臭さを感じたのだったが。


「――うん…でも、仮にも受験生を誘うのはどうかと思うんだが」
「私は特に"誰"とも申し上げておりませんよ」


忍び笑いの部下に、まんまとしてやられた。


「石塚…」
「――念のため、こちらから先方にご連絡させて頂きました。スケジュールの都合もおありでしょうから」
「何…」
「やはり和希様おひとりでは何かと気がかりですので、SPとしてご同行願えないかと」
「……」


何て何処までもよく気のつく秘書なんだか。
もちろんこれは、3割方嫌味だ。


「――それで? 彼は何と?」
「ええ、報酬は何かとお訊ねでしたので、それなりに」
「それなりに? 何だ?」
「……」
「……」


本当に…よく出来た秘書を持って幸せだ。




そんなわけで当日、新幹線車内。


「あ、中嶋さん、ここ禁煙車ですけど…大丈夫ですよね?」
「ああ…」


心なしか憮然とした中嶋さんは、隣の席にどっかと腰を下ろすと、すぐにシートに深くもたれて眼を閉じる。
そんなに迷惑そうな顔を見せるくらいなら、始めから誘いになど応じなければいいのに。

秘書を逆恨みしつつ、自分もシートに背中を預けて瞼を閉じた。




どのくらい走ったのか、うたた寝程度の間に、車窓からの景色もすっかり様変わりしていた。
やや郊外の街に積もった白い雪と、遠くに見える水平線。


「うわ…」


眩しいほどの光の反射に、思わず窓に張り付いて、流れる光景に眼を凝らした。
学園にいるだけではまず見ることのできない情景を、大切な人と見られるこんな機会、きっと二度とない…のに。


「――ッ!?」


隣で静かに眠っていたはずのその人がいきなり、覆い被さるように背中に密着してきて、
そうでなくても焦るのに、


「中嶋さ…!」
「大声を出すな。却って目立つ」
「――ぐ…っ。な、なんですかいきなり」


小声で喋ったところで、通路を通る人間がいれば確実に気づかれる。
窓の外を眺める子どもを見守る保護者のような、過剰なスキンシップ。
だが、周りの様子を確認する余裕も、具体的な手段もない。
接近しすぎて身動きさえ取れない。


「ちょっとくっつきすぎですって…」


抗議の声は素っ気なく無視され、一言も発しない中嶋さんの、強い気配に窒息しそう。
窓に張り付いたままの自分の手に、中嶋さんの長い指が重なって絡んでいるのを、
ひたすら見つめるばかり――


「煙草…」
「――は?」


不意に呟く声に気づいて顔を上げた。
振り返りたいのは山々だが、状況がそれを許さない。


「吸いたくなったんですか?でもデッキも禁煙ですし、向こうの…」


無言で言葉を遮り、その人は、いきなり何を思ったか、絡む指先を引き寄せ口元へと運ぶ。


「イっ…」


ちょうど自分の顔の真横で繰り広げられている光景が、窓に映りこむのが見える。
捉えられた数本の指を、口腔内で舌が弄んで、
ぬめる音だけがダイレクトに耳に届くから、その分余計に……


「――ん…っ」


理由とかモラルとか、常識とか状況とか、冷静になり切れない頭で必死に考えてみるのだけれど、
悔しいけれど結論なんか――出そうにない。


まさか煙草の代わりだなんて、耳元に囁かれるまで夢にも思わないで。









【温泉へ行こう/第一話】
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