「中嶋さん、留年決定だそうです」
「……」
「――あ、やっぱり信じられません?」


4月1日、都内の桜は今が盛り。
大学が始まるまでは暇で仕方がないらしいこの人に呼び出され、
ふたりでぼんやりとマンションの窓から花霞を眺めている。

もっともこちらは、新年度への切り替えに伴う雑務に追われて暇どころではないのだけれど。
そんな事情には一切頓着しないのが中嶋さんだ。


「…エープリルフールのネタなら、もっとそれらしいのを仕込んでおくべきだな」
「根が純粋なんで、嘘が下手なんです」
「その歳で純粋などと言うと、気持ち悪がられるのがオチだろう。やめておけ」

煙草を片手に、真顔で嘯く中嶋さんを軽く往なして、わざとらしく別の話題を振る。

「そういえば、寮の…中嶋さんの部屋、新入生が入ってきたみたいですね」
「それがどうした?」
「どうせなら永久欠番みたいに、あの部屋ごと封印してしまえばよかったかな、なんて…」


想い出が詰まり過ぎた小さな部屋を、知らない誰かに明け渡すのは惜しまれる。
残された痕跡を消してしまったら、この人のいない学園で、寂しさを紛らす場所も失ってしまう。

「どうせお前のものなのだから、好きにすればいいだろう」

半ば呆れ口調で中嶋さんが苦笑する。
きっと、今日のネタの続きくらいにしか伝わってはいないのだろう。


「表向きの理由はいくらでもあったんですよ。クロスのヤニが酷くて、修繕が間に合わなかったとか」
「…嫌味かそれは」
「いえ、事実ですが」


けれど、本当は染み付いた煙草の匂いさえいとおしく思えた。
退寮後の、空き部屋になってしまったそこに独り、佇んでみれば、恐ろしいほどの静寂と空白。

足元から這い登る不安。


「本当に中嶋さんがいないんだなって実感――してしまって…」
「いるだろう、ここに」


相変わらずの尊大な口ぶりに思わず苦笑してみても、淡い笑みは儚く消え入る。
無意識に零れるため息を、隠すこともできない。


「でも…こうやって会えても、毎日好きなときに顔を見られるのと、
 時間を決めて会うのとでは、やっぱり…全然違うなぁって」


ことんと中嶋さんの肩に凭れて、身体を預ける。
前を向いたままの中嶋さんの表情は、全く窺えない。


「だから…たまにしか会えなくても、俺のこと忘れたりしないでください」
「――お前はそんなに、俺を過去の男にしたいのか?」
「えっ…」

衝撃的な言葉にばっと上体を起こして、中嶋さんの顔を覗き込んでみれば。

「お前がそんな風に望んでいるなら、俺は別に構わないが」
「中嶋さん、俺は何も…」

訂正したいのに、中嶋さんはこちらを向いてもくれない。

「違うのか? たかが部屋にこだわってみたり、会えるの会えないのと騒いでみたり、
 想い出に耽るのも結構だが、そういう奴に限って、寂しいのを理由に他の男に走るんだろう?」
「中嶋さ…」


絶句して、反論の言葉も見つけられない。
図星なのではもちろんなく、ひどい言葉に打ちのめされすぎて、
もしかしたら逆に、中嶋さんの側の本心なのかもと勘繰っ…



「――人を騙すのなら、この程度はやるもんだ。なぁ、"純粋"な遠藤?」
「…っ!」

中嶋さんはにんまりと、サディスティックな笑みを浮かべて、やっとこちらを振り向いた。
そこまで言われてようやく――担がれたことに気づくけれど、
ダメージが大きすぎて、しばらくは立ち直れそうにない。


「…あんまりじゃないですか。俺は本気で…っ」
「本気で?」

何事もなかったかのように二の腕を掴んで、さも当たり前の顔で胸に抱き寄せる。
中嶋さんのシャツは、煙草と…どこか少しだけ、春の匂い。


「――もう…いいです」

悔しいけれど、許してしまう。情けないほど、己を見失うほど、この人が好きな自分を認識しているから。


「寂しいなら、毎日お前の部屋に忍び込んで、子守唄でも歌ってやろうか?」
「ふ…それも、今日のネタですか?」


腕の中で微笑むと、中嶋さんはちょっとばかり不満そうに、乱暴な仕種で髪に鼻先を埋めた。






【四月馬鹿】
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