中嶋さんのことが少しだけ苦手だった。
だから、執行部の引退で、もう学生会の手伝いに顔を出さなくてもよくなったときには、正直ホッとした。
別に傍若無人な元副会長を恐れているわけでも、毛嫌いしているわけでもない。ただ…、


「――失礼します。中嶋さん、いらっしゃいますか」


私室のドアを控えめにノックする。
待つまでもなく扉は開かれて、不在を期待した気持ちを一瞬落胆させた。


「遠藤か。何か用か?」
「はい。ハロウィンのお菓子の差し入れです。よろしければどうぞ」
「………」


英明は胡乱な眼差しで、和希と和希の差し出した紙袋を一瞥すると、


「今日は何の企みだ」


とひと言。













「うわっ何これ、どうしたの?」
「スポンサー企業からの差し入れ…なんだけど、なぁ啓太、どうしたらいいと思う?」
「どうしたらって?」
「量が量だし、皆に配るのもどうかなと思ってさ」


思案顔の和希の脇には、背を超えて積み上がる大量の段ボール箱。側面には有名お菓子メーカーのロゴ。


「それにお菓子なんて、今ドキの高校生は喜ばないだろ?」


和希が大真面目にため息をつくのを見て、啓太は呆れ気味に肩を竦めた。


「そんなことないよ!皆絶対喜ぶって」
「そうか…?」


笑顔ひとつで和希の懸念を吹き飛ばした啓太の興味は、すでに箱の中身に移っている。


「じゃあ…どうするかな。銘々に取りに来てもらうか、食堂で配布…」
「和希!せっかくハロウィンなんだし配ろうよ、仮装して」
「仮装って、啓太、誰がするんだよそんなの」
「そりゃあやっぱり……」


ちらりと上目遣いの幼なじみに、和希は慌てて首を振る。


「俺は無理!無理だからな! 大体独りでこれだけの量、配れるわけないだろ」
「えー、うーん、あ!こういうのはどうだ? オレが1年生に配るから、2年生は俊介に頼んで…」
「で?」
「3年生は和希が配ればいいんじゃない?」
「………」


満面の笑みでひらめきを披露されると頭ごなしに反対できない。啓太の言葉には弱い…














そんなわけで今現在、英明の部屋の前に来ている。仮装は、準備が間に合わないと嘯いて勘弁してもらった。
もうすでに他は配り終えた。一学年に限ってなら3〜40人だ。不在の部屋もあったから、それほど時間はかからなかった。
ここまでの所要時間は約1時間弱。
この部屋が一番最後になったのは、やっぱり苦手意識が働いたせいだろう。


「――別に何も企んでいません」
「しかし一般的には逆だろう?」
「え? あぁ、まぁそうですが…」


"Trick or treat?"ならお菓子を配り歩くのは逆じゃないかとそう言いたいのだろう。


「イベントに託(かこつ)けただけですから。不要な場合は、明日にでも食堂へ持参してください。――では失礼します」


一秒でも早くこの場から立ち去りたかった。でなければ。


「――遠藤」
「………はい」


なのにたったひと言、たったひと声が、振り向きかけていた脚を留めさせる。まじないか何かのように。


「他にも配る先があるなら手伝ってやろう」
「いえ、ここが最後です」


英明の性格を知る人間ならぎょっとするような、そして何か裏があると勘繰ってしまうような申し出に、兢々としつつも正直に答えた。
どうして俺の部屋が最後なのかと追求されれば、答えに窮するのは眼に見えていたけれど。


「…それならせっかくだ。コーヒーでも飲んでいけ」
「いえ…」
「忙しいというなら、理事長自ら配達を請け負ったりしないだろうからな」
「………」


威圧的な誘いを断るのは得策ではないと判断し、仕方なく頷いた。




「何か…俺にご用ですか」


部屋に上がると、壁際でコーヒーを淹れ始めたひとから、なるべく距離を置いて立った。


「用か、そうだな。…まず座ったらどうだ?」
「………」


座れと促されても、ソファやテーブルがあるわけでもない。
そのうちに英明がマグカップをふたつ手にしてこちらへ戻って来て、そのうちひとつを備え付けの学習用の机に置いた。
残りのカップを持ったまま、英明は自身のベッドに浅く腰掛ける。
ここに、この椅子に座れという無言の圧力に負けて椅子の背もたれを引き、英明に向かって斜めに座った。
ここまでの流れで、やはりこの男が苦手だという感情が拭えない。
他人は命令に逆らわない、が当然の認識なんだろう。


「――改めて用というほどのことでもないが」
「…はい」
「一度お前に訊いてみたいと思っていた」


なんてこともないマグでコーヒーを飲む姿さえ様になる英明は、常にない穏やかさで話し始め、それが却って不信感を増す。


「何でしょうか」
「…俺としてはお前に何かしたという覚えもないのだが、お前のその険のある態度はいささか疑問だな」


理由は別として、態度に関しては図星であったので、特に返す言葉が見つけられなかった。


「そ…」


そんなことはないと常套句のように否定してみせるのは簡単だが、事実に反する。
そうでなくともこの男には、見透かされているに違いない。見抜かれている。おそらく総てを。


「中嶋さん、それは…」


これだからこの男が苦手なんだ。と心の中で呟く。


「端から相性が悪い――と考えるのが妥当か」
「………」


他人などどうでもいい、邪魔者は排除する。それがポリシーのように見える中嶋英明か、これが?
一体何を企んでいる…先刻の遣り取りが思い出された。立場こそ逆になったが。


「中嶋さんの言葉は、半分は正解です。俺は確かに貴方を苦手に感じている。でもそれは…」
「それは?」
「それはおそらく…、貴方が気づいていると思ったからで」
「気づいている。俺が何に対して」
「――」


これ以上喋るつもりはなかった。自滅するのは眼に見えている。
忸怩たる思いで、眼を逸らした。


「つまり、理事長であること以外に、まだ危険因子がある。それを俺が知っていると邪推したお前に、すげなくあしらわれているというわけだな」
「どう…受け取ってもらっても構いません。それに」
「なんだ」
「…どんな風に詮索されても、貴方にとって、俺の存在など取るに足らないものでしょうから」
「………」


英明は押し黙り、感情の窺えない表情で和希の動向を眺め遣った。


「お互い様だと言いたいわけか。また酷い言いがかりをつけられたものだな」
「言いがかりって」


ハッと口を噤んだ。ここでいきり立てば相手の思うツボだ。


「…そう思われるのならそれで構いません。――失礼します。コーヒーご馳走様でした」


立ち上がり扉に向かう。情けないことに、英明の顔をまともには見られなかった。


「ひとつだけ訊くが、」


遠藤、と魅惑的な低音で呼ばれるだけで、またも脚が勝手に止まる。


「それは、お前の弱みか?」
「――っ」


質問の影響力よりも、音もなく立ち上がり背後にぴたりと迫ったその存在に、息が止まりそうだった。
その距離が数ミリしかないかのように、気配が濃く感じられる。
体温や息づかいや、ふわりと鼻腔をくすぐるコロンの残り香。煙草の匂い。英明そのものが、その場に和希を押し留める。
これが弱みでなくてなんだと…言う…。


「そうです…貴方の言う…通り…です。俺はっ」


頭が真っ白で、自分で語ったことの半分も自覚がないまま叫んでいた。


「馬鹿みたいに中嶋さんが好きでっ、――それが弱みでなくてなんですか!」
「遠藤」
「……っ」
「こっちを向け」
「……嫌です」
「だったらこのまま襲うが?」
「――!」


振り返るより、返事をするより先に、背後から突き出た腕がゆったりと和希の腰を抱きかかえた。


「何…をっ」


でも動けない。見えない枷は、はっきりと見える形をとって、和希を閉じ込める。その広い胸に。


「…お前の思考回路が全く理解できない。好きだという相手をそこまで毛嫌いする理由はなんだ。立場か、身分か」
「理事長が、自分の生徒に恋情を抱くなど噴飯ものでしょう?まさしく週刊誌の格好のネタだ」
「そんなくだらない理由だけか」
「……貴方みたいな人間を好きになる自分が許せなかった。信じられない。どうして…って」
「全く、酷い言われ様だな」


くっと抑えた笑い声が、耳のすぐ脇で響く。近い。こんなにも近くで、英明の体温を感じる日が来るなど、思いもしなかった。


「矛盾は重々承知の上です。だからこそ俺は」
「自分の感情などなかったことにして、無理矢理俺を貶めたわけか。無駄な努力と言わざるを得ないな」
「…なんとでも――」


腰を包んでいた腕がすっと持ち上がり、和希の細い顎を掴んで強引に横向かせた。真横から英明の端正な顔が覗き込んでくる。


「俺に聞かせろ。お前の言葉で」
「――っ…、」
「遠藤」


この声はどうしてこんなにいとも容易く心を溶かすのだろう。


「俺は…、貴方が、…中嶋さんが……好きです」


難なくするりと紡がれた言葉に、英明はふわりと笑みを浮かべ、


「――ご褒美だ」


口唇を押し当てるだけの柔いキスを寄越した。
それから、ほとんど涙目になっている和希の眦(まなじり)にも。


「中…嶋さ…」
「俺はお前の弱みにはならない」
「そ…っ」


改めて正面から抱きしめられて、思わず強く眼をつぶった。言葉の意味を推し量ることなど忘れそうになる。


「勘違いします…から、中嶋さん…」
「無駄な勘違いなどするよりも、お前は今すぐ反省と後悔をするべきだな」
「……確かに俺は貴方に酷い言葉を」
「そうじゃない」


即座に否定されて、和希は眼を開けた。そのタイミングで英明が問い返す。


「――わからないか」


総てを見透かしているように思えていた深い色の眼差しが、再び和希を覗き込んだ。


「わから…」
「だったらわかるまでお仕置きだ――と言いたいところだが、俺も迂闊だった。お前には見事に騙された。完全にお手上げだと…思い込んでいたからな」
「中…?」


優しいキスが、続く言葉を奪っていったので、謎は中途半端に残されたままとなった。




ハロウィンに託けて、『教えてくれなきゃイタズラするぞ』…ではやっぱり効果はなさそう?
「返り討ちに遭うのがオチだな」って隣で英明が微苦笑を浮かべている。








−了− 








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