「遠藤」
陸上部からの遠征申請書を受け取って、学生会室へ戻る途中、突然横から掛けられた声に驚いて俺は急ブレーキを掛けて立ち止まる。
だって、その声の主は此処に居るはずのない人だったから。
「中嶋さん?仕事は?」
「・・・・・息抜きだ」
「息抜きって・・・まぁ分からなくもないけど」
確かに、さっきまでの学生会室の書類の山を思い出せば、俺も少しだけ戻る気持ちが失せるぐらいだ。
王様が本気を出してやれば一気に片付くのかもしれないけど、如何せんあの人のやる気なんて、いつ出るものとも知れない。
幾ら中嶋さんが有能な人とは言え、1人で片付けるには無理がある量だ。
だから、言いたい事は分かるのだけど。
そんな風に書類が溜まっているにもかかわらず、こんな所にまで足を伸ばす理由にしては少し納得がいかない。
グラウンドにほど近いこの場所へ来る用事などない事は分かっている。
それぐらいなら、俺がまとめてやるだけだ。
かと言って、屋上や中庭ならまだしも、こんな所まで・・・わざわざ息抜き?
完全合理主義の中嶋さんらしからぬ言葉に、俺は一瞬眉を寄せて考え込む。
「遠藤?」
「・・・・・・・何でですか?」
「何が」
「俺、書類でも忘れたりしました?」
ふと思ったのは、他に一緒に回れた運動部関連の書類でも忘れたか、ということ。
わざわざそれを追いかけてきたのだとしたら、俺のミスだ。
学生会の仕事を手伝うつもりで、全く役に立ってない事になる。
「そうじゃない。言っただろう?息抜き、だと」
「息抜きって・・・こんな所まで?」
「悪いか?」
「そうじゃないですけど・・・・」
いまいち納得がいかず、じっと中嶋さんの目を見つめれば、ふと逸らされる。
・・・・・・・何か、隠してる?
強い視線で人を射抜くような瞳を持つ人が、こんな風に目線を外すのは初めてで。
その胸のうちが分からなくて、俺はそっと中嶋さんに近づいて下から覗き込む。
「中嶋さん?」
「・・・・・なんだ」
「俺、何かしました?」
「――――してないさ、別に」
「だったら・・・」
どうして、と言いかけた声を遮るようにして、手首を掴んできた力の強さに一瞬、言葉を飲み込めば。
ふと、目の端に映ったのは、少し不機嫌そうな表情。
「・・・・・・・お前が遅いのが悪い」
「え?」
「いつまで油売ってるつもりだ?・・・・もうお前を野球部になんか行かせない」
「野球部、ですか?」
「そうだ」
クルっと背中を向け、俺の手を掴んだまま歩き出した中嶋さんに引きずられるようにして足を前に出した俺は、その背中を見つめながら驚きで目を丸くした。
もしかして・・・知って、る?
俺が、野球部の部長に・・・告白された、って?
だから・・・迎えに来た?
違うかもしれない。
それでも、中嶋さんの機嫌の悪そうな理由が他に見当たらなくて。
俺は、自分の頬が緩むのを感じて、小さく囁く。
「・・・・・俺が好きなのは、中嶋さんですよ?」
風にかき消されそうなほど、掠れた囁き。
それでも、その言葉は目の前を行く恋人の耳には届いたらしい。
「ふん、知ってる」
ぶっきらぼうに返された言葉は、素っ気無いけれど、想いに溢れたもので。
俺は、やっぱりこの人が好きだと、そんな風に思いながら繋がれた手の温もりを感じていた。