1年掛けてようやく判ったこと。

 

それは、ひどく簡単過ぎて笑える答えだった。

 

 

 

 

優しさの雫


 

 

 

 

「・・・・・・・・・・ヒデ。なんだ、それ」

 

シーンとした学生会室。

いつになく静かなその空気を破ったのは、丹羽のいつになく憮然とした声だった。

 

「何って・・・遠藤だが?」

「だーっ!んなこたぁ見りゃ分かるっての!お前らのその状態のこと言ってんだ!俺は!!」

 

いっつもいっつも同じ答え返しやがって!お前は俺を馬鹿にしてるのか!!


そう叫ぶ丹羽の指差す先にあるのは、椅子に座ったまま自分の膝の上に和希を乗せている中嶋の姿。

ある意味、学生会室では見慣れた風景である。

 

以前、初めてその姿を見たときには、そりゃあぶっ飛ぶほどの衝撃をおぼえたのだが。

如何せん慣れざるを得ないほど頻繁なそれに、丹羽も次第に諦めたという背景がある。


ただ、いつもは大抵、和希が中嶋に甘えているだけだったりするため、甘ったるい空気を醸し出してはいるが我慢出来ないほどではない。

しかし今日のは何というか、和希のギスギスした雰囲気に丹羽が堪えられず声を上げたのだった。

 

「ケンカでもしたのか?いや、だったらワザワザ膝の上になんか乗んねーよな・・・だったらヒデが浮気?いや、そんなのして五体満足でいられるワケねぇか。遠藤が殴り飛ばすだろ。なら・・・」

「煩いぞ、哲也」

「だったら、その鬱陶しいのをどうにかしやがれ」

「どうにか出来るぐらいなら、とっくにしてる」

「・・・・・何かあったのか?」

 

こうして丹羽と話している間も、膝の上に乗ったままの和希は中嶋の胸元に頭を摺り寄せている。

それはまるで、自分以外の人間と話すことを非難しているようにも見え、丹羽は一瞬和希を凝視した。

 

「・・・・・・・遠藤?」

「多分、返答はないぞ」

「ヒデ、マジでコイツ、どうしたの?」

 

珍しい、と笑い飛ばせるぐらいなら良かった。

だけど、これでは笑うことすら出来ない。


理事長然とした和希には大人の余裕が感じられムカつくが、こんな風に本当にただの1年生に見えてしまうようでは、丹羽は自然と先輩としての立場になってしまう自分を自覚している。

 

 

「・・・・・落ち込んでいるんだと」

「は?」

「おととい、一緒に出かけたんだが・・・・」

 

自分に身体を預けきっている和希の前髪を掬い上げ、サラリと零れ落ちるそれを優しい瞳で見つめる中嶋に、いつもの冷徹な副会長の面影はない。

もしや、いつもの顔に似合わない惚気が始まるのか。


そう、丹羽が身構えたときにはもう遅かった。

 

 

 

 

 

そう、あれはこの前の週末のこと。

どうしても買い物(という名のデート)に行きたいとねだる和希に負け、中嶋は大嫌いな人込みの中を歩いていた。


自分が欲しいようなPC関連品や書籍、小物類は通販でも手に入る。

外に出るのは、気分転換にジャズ喫茶に行きたい時や酒を飲みたいとき。

昔ならば、欲望を発散させたいとき、ぐらいだった。

 

こんな風に我儘を聞いてやるのは、和希だけだろう。

学園の中にいる時とはまた違った楽しそうな表情を見ていると、人込みもたまには悪くないと思ってしまうのは、中嶋がどれだけ和希に影響されているかという事だ。

 

しかし、そんな楽しそうな和希の表情が、急に一変する。

 

「中嶋さん・・・帰りましょう」

「・・・・・出かけたいと言ったのはお前だろう?」

「そうですけど・・・」

 

口唇をキュっと噛みしめ、俯いたその顔は欲しいものを我慢する子どものようだ。

少し震える手を見て、何をそんなに怯えることがあるのだろうと、中嶋は指を伸ばす。


その指先が触れた瞬間、和希は弾かれたように顔を上げた。

 

「中嶋さ・・・っ」

「どうした?」

「・・・・っ」

 

いつもの、何処か余裕のある様子は全く見られない。

それどころか、ほんの少し顔を引きつらせて手を引いた。

 

「遠藤?」

「ご、め・・・」

「おい」

「――― ごめんなさ・・・っ」

「遠藤!?」

 

いきなり背を向けて駆けだした和希を追うように、中嶋も走る。

人込みを掻き分けて走るのは思ったより困難で、追いついた時には人通りのない路地裏にまで入り込んでいた。

 

「遠藤」

「・・・・っ」

「急にどうした?」

「あ・・・」

「――― ゆっくりでいい。考えが纏まってから話せ」

 

口をぱくぱくと開け閉めして、言葉を詰まらせた和希にそう言って中嶋は壁にもたれ掛かる。

長期戦になってでも口を割らせる、という意思表示にも見えるその姿に和希は息を呑んだ。


出来れば、このまま誤魔化してしまいたい。

でもきっと、中嶋はそれを許してくれないだろう。


許してくれるような人なら、こんなに好きにならなかった。

 

そう、こんなにも好きなのに。

なのに、自分は。

 

「・・・・・ごめんなさい」

「さっきから何だ?謝ってばかりで」

「だって」

「だって?」

「・・・・・・・俺、自分勝手で」

「何を今さら」

 

呆れた、というように眉をひそめる中嶋に、和希は胸のうちで否定する。


そうじゃない。

そんな簡単な事じゃない。

 

思ったのは、もっと最低の事。

 

「俺・・・さっき、他の人たち見て」

「ほか?」

「・・・・・前に、カップルがいたでしょう?」

「あぁ、いたな」

 

ベタベタして暑苦しいと思った。

そんな風に言う中嶋に、苦笑を浮かべながら和希は呟く。

 

「羨ましいな、と思って」

「羨ましい?」

「人前でも、腕組めて。この人が好きだって、皆に見せられる」

「遠藤・・・・」

「俺だって、中嶋さんを好きなのに。誰にも負けないぐらい好きなのに。でも、俺は・・・・」

 

そう思った瞬間、中嶋の手が和希に触れ。

とっさに取った行動は、微かな拒絶。

 

「人の目を、気にしてしまった」

「だから手を引いたのか」

「悔しかったのに、人と同じことも出来ない」

「する必要もないだろう?」

「でもっ!」

「俺は人と同じような事をするお前なんて興味ない」

「え・・・?」

「遠藤和希であり鈴菱和希である、人とは違う考えを持つお前を好きになったんだから、誰かと同じ真似をする必要なんかない」

「中嶋さん・・・」

 

ごめんなさい、ともう1度ぽつりと呟いて。

キュっと胸元のシャツを掴みながら抱きついてきた和希の身体を、しっかり引き寄せた中嶋は耳元で囁く。

 

「自分勝手でいいから、俺の前から消えようとするな」

「中嶋さ・・・・」

「いなくなる事だけは許さない。いいな」

「・・・・・はい」

 

一応は街中である事を考慮したのか、触れるだけのキス。

そんな気遣いを見せる中嶋に、和希は笑って再びキスをねだった。

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・ということがあってな」

「はぁ・・・」

「勝手に拗ねた挙句、人を拒絶しようとしたり置いて行ったりで、さすがのコイツも反省して落ち込んでいるらしい」

 

そうまとめながら和希を見る中嶋の視線は、しつこいようだが常にないほど柔らかなものだ。

その優しさを少しでいいから俺にも向けろと思いながら、丹羽は口を開く。

 

「反省も落ち込むのも勝手だけど、何もお前の膝に乗る必要はなくねぇ?」

「――― 俺なりに反省したから、中嶋さんと居られる時はずっと一緒に居ようと思った結果です。何か文句でも?」

 

学生会室に入って来てからずっと黙っていた和希が、ようやく丹羽を見て答えを返す。

しかし、その言葉には頷けず、丹羽もすかさず反論した。

 

「いや、そう暗い空気を出してヒデの傍に居られても・・・」

「何か文句でも?」

「文句っつうか、仕事やりづらいっつうか」

「だったら学生会室に居なければいいでしょう?」

「居なければって、お前な!俺、学生会長だぞ!?」

「普段、働きもしない会長ですけどね」

「ぐっ」

「大体、貴方が真面目に仕事しないから、中嶋さんが全部引っかぶるハメになって、俺たちデートする暇もないんですよ?」

「や、それはお前も仕事が・・・」

「忙しいですけど、ちゃんと中嶋さんと逢う時間は作ってます。それを王様が・・・」

「あ゛〜っ、俺が悪かった!俺が悪かったから、それ以上言うな!!」

 

頭を抱えて怒鳴った丹羽は、ビシっと中嶋に指を突きつけながら睨みつける。

 

「いいか、ヒデ!今日は俺のせいじゃない。俺のせいじゃないけど、俺は戻ってこないからな!」

「何処に行くつもりだ?」

「お前らのいない所だ、このバカップル!どーでもいいから遠藤の機嫌直しとけよ、ヒデ!でなきゃ俺は学生会室に来ないからな!!」

「ほう・・・」

「来ないったら来ない!毎度こんな空気、耐えられっか!!」

 

ダンっ、と勢い良くドアを開けて学生会室を出て行く丹羽の背中には『やってられない』とはっきり書いてある。

それを苦笑しながら見送った中嶋は、胸元の和希に視線を移す。

 

「早くお前の機嫌が直らないと、哲也が仕事をしそうにないぞ?」

「知りません、そんなの」

「そんなこと言っていいのか?先に我慢出来なくなるのはお前だろう?」

「・・・・・だったら、俺の機嫌、直して?」

「我儘だな」

「自分勝手でいい、って言ったのは貴方だ」

「・・・・そうだった」

 

くすくすと笑う和希の顔を上向かせた中嶋は、ギリギリまで口唇を近づけて焦らすかのように動きを止める。

非難するような視線を悠然と受け止め、開いた口から出てきたのは傲慢なほどの言葉。

 

「俺以外を見ようとするな。そうすれば、お前が落ち込む必要なんてないだろう?」

 

それだけを言って、和希の答えなど待たずに仕掛けられたのは息もつかせぬほどの激しいキス。

でもそれは、言葉に詰まる自分を思いやってのものだと知っているから。

 

だから和希は、中嶋の背に縋る指先に力を込め、ただそのキスを甘受した。

 

 

 

言葉にする事だけが優しさじゃない。


染み入るような、心に流れ込む柔らかな声。

そんな優しい雫のような想いを、受け取ろう。

 

 

好きだと、何よりも雄弁に語る口唇から。

 

 

 

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